とある少女の物語

5-6

……遅い。 見上げれば真っ黒い闇。どこまであるのか分からない、深い深い漆黒。右も、左も、前後も上下も、いい加減なれてしまった黒の世界。何もないはずの空間に感覚を描き出して、アルテメネはそこに腰掛けていた。身に纏うのはその世界、空間に負けず劣ら…

5-5

「……なるほど」 一言。智がつぶやく。 大体どのようなものをアルテメネが創造しようとするのかは、ポルセイオスとの一戦、その直前を見ていたから理解していた。だから、このような手法をとった。 今、彼女の手にあるのは一対の槍と盾。槍は、物理的な可能不…

5-4

「後どれくらいかかるかな?」 朋が、尋ねる。 「さあな」 気のない返事を、智が返す。 暗闇、漆黒の中に腰掛けて並ぶ二人。鮮やかな赤と、ほとんど周囲に溶けて見える黒。翠色の瞳と、色白の肌。そして、二人の目の前、普段であれば何もないはずの空間に今…

5-3

それは、アルテメネの想像の域を大きく超える規模の話であった。 予定にして一週間後。一つの、小さな仮想世界を文字通り、消滅させる。智が最初に、ほとんど実験的に作ったような世界で、そのぶん不完全だから、住んでいる人間もただ一人を除いて皆、ろくに…

5-2

アルテメネの過ごしてきた世界を含むその他大勢の時間にしておよそ百年前から、「世界」と定義される存在は同時に二種類、複数存在している。その一つ目は俗界だとか、虚界だとか、仮想世界だとか、そんな名前で呼ばれる、アルテメネが暮らしてきた世界を含…

5-1

示されたのは己の無力 訪れたのは救いの破壊 二人の使者は遥か先に 差し出される手はただ在りて その者を何処へ導かん 力なきその者は その身何れの地に置かんAct 5 薄暗い、などというものではない。真っ暗闇。一切の光が無い、本当の暗闇。なのに、何故か…

4-6

「気まぐれ……ですか」 ポルセイオスが、呟く。見つめる先には、ただ白い空。獣と化した赤いマントの少女と、それに連れられた黒いドレスの少女が飛び出していった先。 「そう、気まぐれだよ」 智も、呟く。ポルセイオスの首に短剣を突きつけて動きを封じ、そ…

4-4

これはどうしたことだろうか、と、アルテメネは思う。 もうだめだと、何も出来ないと思ったのに、どういうわけか自分はかすり傷一つ負わずにこうしてここにいる。辺りを見渡してみればアレほどの瓦礫の山がどこにも見当たらず、あるのは再び、真の闇。そして…

4-3

「他愛もない。力の使い方も知らぬとは」 高みに立って、見下ろして、つぶやくようにポルセイオスは言った。眼下には、全てを押しつぶして、薄高い山になった瓦礫。目も当てられないほどにむごたらしく、腹に、胸に、大穴を明けていた四人の男の亡骸も、それ…

4-5

街の中でも一際高い塔の屋上、そこに二人の少女がいた。一人は、赤いマントに身をつつんだ茶髪の少女、朋。もう一人は、漆黒のドレスに身をつつんだ銀髪の少女、アルテメネ。血に濡れていたそのドレスには朋のうっすらと黒い手がかざされ、そのかざされたと…

4-2

楽しい。血を見るのが、楽しい。血から香る、鉄の臭いを嗅ぐのが、楽しい。肉を刺す感触が、楽しい。ビクビクと跳ねる、死体を見るのが楽しい。何もかもが楽しくて、手にした得物の重さが心地よくて、服にまとわりついた血糊でさえも悪い気はしなくて。知ら…

4-1

闇は払った 道は得た 血の朱に酔い 紅に笑う されど眼前には壁一つ 従えた得物は無に帰り 拠所無き手は空を掴む その身、なおも孤独なりAct4「で?満足したの?」 赤いマントを身に纏い、少女は尋ねる。その身はやはり宙に立ち、朝凪の中、時折服そよ風に短…

3-8

「ふふっ。まだ動くのね。面白い」 朝。しかしこの町においてその単語は爽やかなイメージとは決して重ならない。白い空、光の届かない路地。瓦礫の山。そんな中で、少女は笑っていた。 手にしたのは、突撃槍。全てを貫き、塵と成す。その先にあるのは、男で…

3-7

「あった。ここだわ」 東の空は、少しずつ白んできている。漆黒に彩られていたドレスを今や、その半分近くを血の赤に染めて、ブーツは赤い足跡を地面に残し、頬には化粧のように一筋、血の線を引いて、アルテメネは細い壁と壁の隙間を見つめていた。 忌まわ…

3-6

「エイギス!おい、エイギス!」 闇の中で、名を呼ぶ声にその男は起きた。黒尾組、エイギス。特にこれと言って上下関係があるわけでもない3人組の仲ではあるが、その中でも根本的に図体が大きく、力自慢であれば他の二人には決して負けない。そのかわり、ほ…

3-5

深夜、戸を叩く者があった。その部屋は、寝室。半奴隷と呼ばれる貧民を捌いて稼ぎを得る、キシウスの寝室。 キシウスは不機嫌だった。裏町の三割を動員した討伐対が丸一日探し回っても彼の賞品を壊した罪人は捕らえられず、仕事を丸々キャンセルしたせいで今…

3-4

夜闇。うっすらと空は白み、しかし高い壁にはさまれたこの場所は、僅かな光すらも射しこまない。まさに、闇。光無きその地において、黒光りする鉄柵がゆっくりと、軋みながら、開いた。その隙間から、まるで夜闇が流れ込むかのように入ってくるもの。少女。…

3-3

「さて、どこに行こうかしら」 少女、アルテメネはつぶやく。今、その身があるのは表通りを外れた裏通りの片隅。ほんの一瞬前、はるか頭上で自分の行いに他人が感嘆の声を上げたことなど彼女が知るはずも無く、物陰で着替えた新しい服を夜風に揺らしながら、…

3-2

「あら、びっくり。本当にやっちゃった」 一人、少女の声が夜空に響いた。 「当然。そうでなきゃ、あそこまでした意味が無い」 答えるのは、低くも良く通る男の声。色白の肌にやや長い黒髪、つり上がった目。スーツを崩したような服を身に纏った、あの男。彼…

3-1

この身、持ち得たものは無く 無の中にただ、独り漂う 夜風に吹かれ、夜闇を見上げ なお望む光はあらんや 星も見えぬこの街で 伸ばす手は何をか掴まん Act3少女は、道端に座り込んでいた。壁に背を預け、空を見上げていた。街を舞う塵を受け、風に靡いて乱れ…

2-3

見慣れているはずの道を、行く。見慣れた店先を通り過ぎ、曲がりくねった細い路地を歩いていく。アルテメネと、長身黒髪の男と、二人の間に会話は無く。ただ並んで、黙して歩く。別に、思うところは無い。今を生きていられればそれでよし。それは、この街に…

2-1

昨日までは届いたかもしれない空 今はもはや望むべくもない 嘆くことさえ忘れ ただ煙る空を見上げる 神なる者よ 在るならば この小さき者を救いたまえ 壁を崩し 剣を払い 再び光を与えたまえ Act2 いつもと変わらない空。昇る日に照らされて空はなお白く、吹…

2-2

「失礼しました」 その声は、まるで機械かなにかのよう。あくまで形だけ、まるで気の無い声と共に頭を下げるアルテメネの目の前で、重い扉は閉められた。何度も見たことはあって、しかし今までただの一度も開けたことは無かった扉。半奴隷、その日雇った貧民…

1-4

少女は一人、街を歩いていた。いつもなら少なからず汚れている肢体はまっさら、まっしろ、まるで透き通るかのようで。普段の苦役で多少荒れた手のひらも気にならない。身に纏うのは、いくらか汚れがマシになったのと引き換えに水に濡れていささか重いワンピ…

1-3

「案外ついてたのかも」 薄暗い廊下。安物の照明が辛うじて白く照らし出す下をアルテメネは歩いていた。あちこちを油で黒く汚して、裸足でありながらなお、足音を立てないように密やかに。その手には、時々証明の明かりを照り返しながら、カチャカチャと鳴る…

1-2

「おい、お前!アルテメネ!お前だ!」 生まれは知れぬ、育ちは街の路地。そんな彼女たち、貧民達でもさすがに呼び名はある。もちろん、それは実の親から与えられたものではないが、それでも数が多ければどこかで区別の必要はでてくる。赤鼻だとか、縮れ毛だ…

1-1

空はどこまでもグレー 雲が無いのか あるいは全部雲なのか 知る術などあろうはずも無く ただ一人 くすんだ朝風に吹かれて見上げる 嗅ぎ慣れた臭い 見慣れた景色 醜いまでに黒く 希薄さの具現のように白い それが 私の世界 だった。Act 1 ……寒いな。 朝。見上…