5-6

 ……遅い。
 見上げれば真っ黒い闇。どこまであるのか分からない、深い深い漆黒。右も、左も、前後も上下も、いい加減なれてしまった黒の世界。何もないはずの空間に感覚を描き出して、アルテメネはそこに腰掛けていた。身に纏うのはその世界、空間に負けず劣らず真っ黒なドレス、手袋、ブーツ。長く艶やかな銀髪を、彼女の誇りをまっすぐに下ろして、膝の腕に頬杖をつく。
 智と朋がこの空間を出て行ってからもう半日は過ぎた。食料その他、最低限必要な物はこの空間にも保管されているようで、その点ではとくに困りはしないものの、これほど長く待たされれば機嫌も悪くなるというものだ。
「準備が出来たら迎えに来るとか言って……、どれだけ待たせるのよ」
 誰もいないのをいいことにそんな文句を漏らす。と、
「ごめんね〜」
「……っ!」
 飛び上がって振り返ると、すぐ耳元に満面の笑みを浮かべる朋の顔があった。
「……脅かさないでよ」
「ちょっと向こうで色々あってね。智が予定を一日遅らせようなんていうもんだから」
「……そ」
 文句を言ってもどうせ笑って流されるだけなので、溜息だけで済ませる。
「それで?迎えに来たっていうことは、準備は出来たのね?」
 立ち上がって、ドレスのすそを正してやる。彼女の銀髪が彼女という人間の誇りであるとすれば、このドレスは彼女の手にした力の証。綺麗に整えた後で軽く首を振って髪も風で梳かす。
「もちろん。これから目標の仮想世界の境界まで行って、智が合図したら飛び込んで」
「分かった」
「君は特別に管理者の屋敷の裏手に降りられるようにしてあげるから、後をどうするかは自分で考えてね」
「分かった」
 一つ一つ、噛み締めるように目を閉じて答える。これで、自分はもっと大きな力を手に出来る。忌まわしいあの世界を支配できる。
「……我行く道に壁はなく」
 静かに、力を導く口上を紡ぎ出す。
「我行く道に剣はない 一対の僕 我が下僕 共に我が手に身を委ね その名の役を果たし通せ 矛盾」
「……へえ、それが君の口上かぁ」
 感心したように言う朋の視線の先、アルテメネの両手には、突撃槍を模した手槍と巨大な盾。アルテメネの、力。
「行きましょう」
 つぶやくように、言う。
「貴方達は好きなように目標の俗界を潰す。私は……神界に行って力を手にする。貴方達も、早く始めたいんでしょ?」
「お。よくわかってるね〜」
 あえて神界、俗界という呼び名を使ったのは、仮想世界という名前が嫌だったから。どれだけ忌まわしい世界でも、自分が生きてきた日々はきっと現実のもので。それを「仮想」と呼ぶのはただ、嫌だった。
「じゃ、行こっか?」
「ええ。行きましょう?」
 そう答えて、赤紫色の空間、朋が今通ってきた、俗界と俗界とを繋ぐその空間に、アルテメネは足を差し入れた。






 空はどこまでもグレー
 雲が無いのか あるいは全部雲なのか
 知る術などあろうはずも無く
 ただ一人 くすんだ朝風に吹かれて見上げる
 嗅ぎ慣れた臭い 見慣れた景色
 醜いまでに黒く 希薄さの具現のように白い
 それが 私の世界
………
 ……



 …
 ……
 だった。

END and Continues to "the time when a medium of dawn sings"