3-5

 深夜、戸を叩く者があった。その部屋は、寝室。半奴隷と呼ばれる貧民を捌いて稼ぎを得る、キシウスの寝室。
 キシウスは不機嫌だった。裏町の三割を動員した討伐対が丸一日探し回っても彼の賞品を壊した罪人は捕らえられず、仕事を丸々キャンセルしたせいで今日の稼ぎも無い。労働が一日休みになったぶん商品達の気は緩んでいるだろうし、明日、明後日辺りはあちこちから苦情がくるかもしれない。まったく、冗談ではない。とんだ迷惑だ。
 そして、今。このような時間になって戸を叩く者がいる。6歳になる娘は熟睡している時間だし、隣の部屋で寝ている妻には夕食以降、部屋には来ないように言ってある。ならば、だれだ。
「……だれだ」
 不機嫌な声で、それでも一応返事は返す。これでろくな用事でなかったら殴り倒してやろう。そう、考えながら身を起こした。
「遅くに申し訳ありません、旦那様」
 返ってきたのは、女の声。しかし妻のものではない。もっと若く、澄んだ声だ。耳に覚えは無い。
「なんだ」
 すっと眠気が退いていくのを感じながら言う。殴り倒すという案は撤回。場合によっては部屋に招き入れてしまえばいい。そう思って、立ち上がり、扉の方へと歩いていく。
「それが、表で騒ぎが起きております」
「騒ぎ?放っておけ、そんなもの」
 言って、取手に手をかける。
「それよりも、こんな遅くに人を起こしたんだ。話し相手にくらいなってもいいだろう?」
「……申し訳ありません」
 返ってきた声に答えることもせず扉を開けようとして、キシウスは瞬間、硬直した。
「……っ……」
 声が、声にならない。もれるのは風の音。手が震え、脚に力は入らず、鋭くも鈍い痛みに身体が崩れ落ちる。何事かと見下ろして、気付いた。
 腹に、扉の向こうから、刀の刃が刺さっていた。
「お話の相手はできかねます」
 膝をつき、床に転がるキシウスの前で扉が開く。まず覗いたのは黒いブーツ。ついで、黒い、裾の長いドレス。黒い手袋。そのどれもが、赤い、何か不吉な液体に濡れていて、絨毯の上に黒い足跡を残していて。そして、その靴がキシウスから流れる血潮を踏んだ時、声の主はそっと顔を上げた。
「お前……!」
 かつての商品を前に、驚愕する。彼女の手には、それぞれ一振りずつの細身の剣。悪趣味なまでに装飾に凝ったそれは確か、キシウス自身が貴族街で譲り受けたものだ。
「騒ぎは、もうここまで来ていますから。では、さようなら」
 赤を散らしたドレスとは対照的に、一点の汚れも無い銀の髪。キシウスの前でそれが鮮やかに広がり、一瞬後、その意識は途絶えた。
 脳天から、咽喉から、体内で直角に交差させるかのように、深々と剣で刺されたキシウスであったものが、そこに在った。