3-6

「エイギス!おい、エイギス!」
 闇の中で、名を呼ぶ声にその男は起きた。黒尾組、エイギス。特にこれと言って上下関係があるわけでもない3人組の仲ではあるが、その中でも根本的に図体が大きく、力自慢であれば他の二人には決して負けない。そのかわり、ほかの事では大抵かなわない、そういう男だ。
 声の主は、確かめるまでも無い。同じく黒尾組。もう子供の頃から共に生き抜いてきた、兄弟。バレス。普段であれば誰よりも熟睡している男が、今宵はどうしたというのだろう。それが気にかかって、身を起こす。
「……どうかしたか」
「ああ。カールキウスの姿がねえ。どこ行きやがった」
「便所だろ。いちいち気にすることも無い」
 答えながら、欠伸を一つ。その程度のことか、ともう一度寝ようとしたところを止められた。
「いや。あいつ、ついさっき便所から戻ってきたばっかりなんだ。それで俺が水のみに行って戻ってきたらいなかった。おかしいだろ?」
「……抜け駆けでどっか行く奴でもないしな」
 カールキウスは、頭は回るが根が臆病だ。こんな夜更けに一人でどこかに行くようなことはまず無い。さすがにエイギスもいぶかしんで立ち上がり、ねぐらの外の方へと出た。
 出て、それを見た。
 カールキウス。否、そう呼ばれていた、有機物。右足は膝から下が切断され、切断された足は口が咥え、左足は爪先から腿の方までまっすぐに、細身の剣で一突きにされ、腹は開かれて酷く臭う腑が溢れ、何かで叩かれたように、潰れて、袋のようになった両腕は紐のように結ばれて。そして恐らくは声を出させないためであろう。咽喉が、深々と斬りさかれていた。
 そして、それは突然に来た。
 背後にいるはずのもう一人の仲間に異常を知らせようと、血走った目で振り返ろうとした刹那。両足の腱が切り裂かれた。
「……っ!」
 悲鳴はなんとかこらえて。それでもバランスを崩した身体は反転しながらその場に転がる。そして、見た。バレスの顔をして、黒い少女用のドレスに身をつつみ。両手に手斧を携えた者の姿を。そして、見た。その背後の壁に、両手、両足を短剣で打ち付けられ、釘打ち台かのごとくに、隙間も無いほど槍、剣、刃物の数々を打ち込まれた兄弟の姿を。
「お前っ!」
 足は動かない。それでも大腿筋の力で身体を前に送り出し、自由な両手で目の前の人間を捉えようと手を伸ばす。しかし
「ああ、動かないでもらえるかしら?」
 バレスの顔で、しかし、声は明らかにだれか少女のもので、それはそう言って、いつの間に取り出したのか、右手の手斧を捨て去るのと同時に手に取った長槍で一突き、エイギスの肩の筋を切断した。
 悲鳴を上げる暇も無い。ついで、流れるように反対の肩も突き、痛みに怯んだ隙に背面から腹部を床に釘付ける。これでもう、死ぬ覚悟でなければ動くことは許されない。もっとも、腕がろくに動かない状態においてはまず動こうとすることさえ難しいのだが。
「さて、と。ちょっと熱くなってきちゃったし、そろそろ外したほうがいいわね」
 言って、その者は、痛みに耐えながらも睨みつけるエイギスを見下ろしながら、こめかみに片手を添えた。添えて、なにかをはがすかのように、否、文字通り顔を、剥がした。
「な……っ!お前……アルテメネか!」
 現れた顔に、愕然とする。その者の手には、つい今までその顔に張り付いていた白い布。そしてその下から現れたのは、多少変わってはいるもののあの、半奴隷の少女に違いなかったのだ。
「なれなれしく名前で呼ばないでもらえるかしら?」
 言って、エイギスの顔を蹴飛ばす。身体が微かに動いて、あちこちで連動する痛みにはを噛み締める男の顔を、さも嬉しそうに見下ろす。
「やっぱり声真似が巧いだけじゃ駄目ね。顔も似せないと。外にいる二人目をやった時にはもうこれをつけてたから大丈夫だったんだけど、そこの壁にいる一人目のときは顔には何もしてなかったから騒がれちゃって。だからあんなふうに不細工になっちゃったの。ごめんなさいね?」
 髪をまとめていたピンを抜きながら語るその顔は、完全に悦に入っている。嗜虐的で、恍惚としていて、普段だったらこんな小娘の表情などどうでもいいのに、今はそれが不思議と怖い。
「なんかね、これが少しずつ楽しくなってきたの。人を刺すのも、斬るのも、潰すのも。全部。貴方も、せいぜい楽しませてね?」
 アルテメネが近づいてくる。
 まずい。
 逃げないと。しかし、逃げられない。逃げれば腹に刺さった槍が余計に傷口を広げる。深々と地面に突き刺さったそれは、決して抜けることは無い。
「さあ、貴方はどんな声で鳴くのかしら?」
 言って、どこにでもありそうな包丁が、掌につき立てられた。