2-1

 昨日までは届いたかもしれない空
 今はもはや望むべくもない
 嘆くことさえ忘れ
 ただ煙る空を見上げる
 神なる者よ 在るならば
 この小さき者を救いたまえ
 壁を崩し 剣を払い
 再び光を与えたまえ



Act2

 いつもと変わらない空。昇る日に照らされて空はなお白く、吹き寄せる風は離れず肌にまとわりつく。いつものようにコンクリートの壁は高くそびえ、尊大にこちらを見下ろしてくる。
 そんな中において、今日の街はすこしだけいつもより騒がしかった。キシウスの半奴隷がどこかの野盗に遊ばれた、という噂は、夜明け前になって帰ったアルテメネを迎えたキシウス自身の口から広まり、公私を問わずキシウスと親交のある者が集まり、簡素な討伐隊が組まれていたのだ。手には身近な得物まで持って、裏路地の辺りを重点的に4、5人一組の男達が練り歩く。
 一方で、件のアルテメネはあちこちで聞こえる彼らの掛け声をぼんやりと聞きながら独り、表通りの片隅に座り込んでいた。すぐ横の路地に入ればすぐに、見慣れた鉄柵があって暮らしなれたねぐらがある。でも、そっちには行かない。もう、そこは自分の居場所ではないから。もう自分は、キシウスの、あの男の道具でさえないから。
 アルテメネがここに戻ってきたのは、街のもやの中に白い光が見え出した頃だった。野盗達が夜明け前の狩りに出ている間に這い出してきたのは良いものの、洗ったはずの服も、身体も、今までに無く汚れ、汚され。足どりは重く、どんなに身体が汚れてもそれだけは風になびいていた長い銀髪でさえも重く身体にまとわりつき、持ち物が全て戻ってこないことに苛立ち、待っていたキシウスを見上げる顔に表情は無く。その瞬間から、もはや使えない、ガラクタと判断されたアルテメネはキシウスの商売道具でさえなくなり、ただ一つのねぐらをもなくした。
 彼女は、知っていた。いま、討伐だと言って街を練り歩いているものの中にも一人として、彼女への思いから動いているものなどいないことを。キシウスは、自分の体面を保つため。他の者は、恩を売るため、借りを返すため、あるいは、疑念を晴らすため。皆、自分自身のためにしか動いていない。それが、あまりにも空しい。帰る場所も無くし、わずかばかりの情けさえもかけられない。あの野盗たちはいずれ捉えられて、法の目に触れないところで、後への見せしめとされるであろうが、それも彼女への救いとはなりえない。
つまり、これがこの街なのだ。救いなど、ありえない。助けなど、ありえない。力なくこの街に在り場所を得た自分に、できることなどありはしない。まして、何も持たない自分がこの街を出ることなど不可能。貴族街などに出てしまえば貧民達に生きる術は無く、そのさらに外になど、指先はおろか、視線の先さえも届かない。後は、せめて死なない程度に、なされるがままに生きるだけ。それが、自分に出来ること。
……これからどうしようかな。
冷たい壁の感触を背中に感じながら、思う。すくなくとも、何かしらの収入源は得なければなるまい。かといって、野盗となるだけの力は無く。いっそ、このまま身体を売るのも悪くないかもしれない、などと考えて小さく笑う。昨日までの自分が、馬鹿みたいだ。たまたま身体を洗えた程度のことで浮かれあがって、届きもしない夢を信じきって。まったく、どれほど滑稽になればいいのか。
再び表情を消して、立ち上がる。いつまでもここにいてどうにかなるものでもない。せっかく自由の身になったことだし、何をするでもなくふらついてみるのもいいかもしれない。そう、思った。