そう、君は突然に

其之百壱

現在……(……柄にもなく変なこと思い出しちまったな……) マンションの玄関にたどり着いた俺は、思わずあつくなった目がしらを押さえながらエレベーターに乗り込んだ。 夏場のエレベーターには二種類あって、冷房が効きすぎているものと、熱がこもってやりきれ…

其之百

(なん…だと……?) 唖然とする徹を置き去りにして動画は進む。 『でもきっとああいわないと徹はおとなしくそっちに戻ってくれないだろうと思ってさ。そうでしょ?最悪徹、私と一緒にここに残るって言うんじゃない?でもダメなんだよね。私はもともとこっちに…

其之九拾九

……… ………… …… 「おっと…ここだ」 どれほど走ったのか、肩で息をしながらも、天井にあいた大きな穴を見つけると徹が立ち止まる。そこま間違いようも無い、あの智と徹が二度目に出会った場所に他ならなかった。そしてそのすぐそばには…… 「あった。これだよ、徹…

其之九拾八

「Catch you later♪」 ナイフが音さえ聞こえるのではないかというほどの勢いで徹にむかってまっすぐに飛んでくる。なんとか逃れようと暴れたところで徹の体が開放されることも無く。しかしそこに散った鮮血は徹のものではなかった。 「……」 「…凛!?おい、…

其之九拾七

「徹!」 驚きと歓喜の入り混じった、上擦りぎみの涙声で凛が叫び、思わず徹に抱きつく。その光景にいらだたしげな目を向けながら、ゆっくりと智も立ち上がった。 「お前…どうして?」 「なに、大したことじゃないんだけどね…。いてて……」 自分の傷の様子を…

其之九拾六

「よくやった」 短くそういって、その場に跪く男達を一瞥すると、徹の体に背を向けてその場を離れる。凛が相も変わらず徹の名を呼び続けるのを聞き流しながら振り返ると、智は再び口を開いた。 「そんでもって、今までご苦労だったな」 「は?」 すっと左手…

其之九拾五

「おい凛!聞こえてるか!」 智が何も言わないのをいいことに声を張り上げる。 「いまそっちがどうなってるかは分からないけど!耐えろ!絶対そっち行ってやるから!」 徹の顔はどこか笑っているようにも見えたが、対する凛はその瞬間、背筋が凍りつくのを感…

其之九拾参

……… ………… …… 「おい、もういい」 徹の居る部屋の隣、凛と女の諸事を背中に立っていた智が窓の外を見ながら口を開いた。 徹のマジックミラーという読み通り、徹の側からは何も見えない窓も、智の側からは反対側で何が起こっているのかをはっきりと映し出して…

其之九拾弐

「智!智!」 朋ももはや徹には微塵の興味も示さずに窓をドンドンと叩く。いつの間にかナイフと鞭の両方を手にしていた智がそれに気付くのに数秒かかった。 「どうせもう時間も押してるでしょ?そろそろあっち、はじめてもいいんじゃない?」 (あっち……?) …

其之九拾壱

大きく、目一杯に引き絞られたナイフを手にした右手が、まさに全力で突き出される。その刃先は深く凛の手の平にのめりこみ、鮮やかな血をそこに散らした。 『ああ!……ぐっ…!』 凛は刺突の瞬間に声は漏らしたものの、その後は無事でいる右の拳を握り締め、俯…

其之九拾

「…ん?なんだ、これ」 ふと凛の胸元に白く光るものを見つけて、彼女の長い髪を掴んでいた智の手が止まる。 「こんなもの、どうしたんだ?」 そういって凛の後ろ髪を書き上げると、首にも光る銀白色の鎖を引く。そこには前の年のクリスマス、徹が凛におくっ…

其之八拾九

『待たせたな』 窓越しのくぐもった声で智が凛に話しかける。先に向こうの部屋に入っていたのか、そのすぐそばにはあの女も一緒にいた。 いつの間に現れたのだろうか、先程まで何もなかったはずの部屋の隅にはナイフだの鞭だの、なにやら物騒で悪趣味なもの…

其之八拾八

「…さて、そろそろはじめるか」 徹と凛がそれぞれ目を落とすのを待っていたかのように智が切り出す。 「なにぶん俺には時間がないんでな。さっさとさせてもらうぞ」 「…どういうことだ」 徹がはっと顔を上げて智の横顔をにらみつける。 「なに、そのままの意…

其之八拾七

(いつまで待たされるんだろ) 凛がつるされた部屋の中。彼女と背中の磔台以外には何もない。はじめこの部屋にいたあの女も少し前に出て行ったきり戻ってきていない。 別にこうしている事がどう、というわけではなかったが、ただ吊るされて待たされるという…

其之八拾六

「落ち込んでいる君に最高のプレゼントだ。どうしてあいつはお前にそのことをこれっぽっちも話さなかったと思う?朋が現れて自分が追い詰められる中、助けを求めてもよさそうだとは思わないか?」 「それは……俺に知られたくなかったから…」 (そりゃそうだよ…

其之八拾五

「さっきも話したとおり、俺はこの世界に入り込み、生物を作れるようにもなった。最初のうちはこの世界の管理、維持のために4人、そこのやつらを作ったんだが……」 そういって徹の後ろに控えている4人の男達を指差す。男達は皆跪いて頭を垂れていた。 「あ…

其之八拾四

格好のせいで分からなかったが、その声には確かに聞き覚えがあった。 「お前ら……!」 「さっきは世話になったね。随分疲れたよ」 語気を荒げる徹に、にっと笑ってみせる。そう、目の前の4人は、朋を追って徹を追い回したあの4人組だったのだ。 「何でこい…

其之八拾四

「信じられないか?」 「わるいけど、な。現実離れしすぎてる」 真っ向から言い切る徹を智はちいさくせせら笑った。 「そういうやつに3人もあってる奴の言うことかねぇ?」 「……!」 (三人、だと?) はっとして立ち止まった徹は、すぐさま智に飛びついて…

其之八拾参

……… 二人が出会ったところからさほど歩いていないところ、不意に現れた流れ行くレンガの上で先に口を開いたのは智だった。そのレンガは規則正しく並べられたその陣形を少しも変えることなく、ただただどこか道の奥へと続き、流れていた。 「さて、まず聞きた…

其之八拾弐

…… ………… ……… どれほど経ったのだろう。身体の中を風が通り抜けていくような、爽快でありながら同時に気味の悪い感覚から開放されて、徹は僅かによろめいた。 (やばっ……) 反射的にすぐ前にあるはずの「電話ボックス」の壁に手をつこうと、すっと右手を前に…

其之八拾壱

粗いレンガで全面を覆われた牢獄のような部屋の中。中央に設けられた磔台に手足を括られて凛はいた。 ここまで彼女を連れてきたあの男は珍しくいない。何があったのかは知らないが、今横にいる女と話していた内容から察するに、またなにか妙なことを計画して…

其之八拾

(………畜生) 何も考えられなかった。息は切れ、足は振え。男達の行方は知れず、凛はおろか朋の居場所さえ分からなくなってしまった。 (…帰ろう) 自転車から降りて徹は歩き出した。 これ以上ジタバタしてもろくなことがない。凛はともかくとしても朋の方は…

其之七拾九

(っと…まあこれでいいか) 夏の夜空。寒々とした―徹の部屋と比べればいい勝負ではあるが―冷房の効いたコンビニの中から程よく涼しい空気の中へ出てきた徹。その手には白い、ビニール袋が握られていた。 凛だって全く所持金が無いわけではないから何か食べて…

其之七拾八

同日 午後5時52分まだまだ明るい夕方の住宅街。時折買い物帰りの主婦や、自転車に乗った小学生が駆け抜けていく道。その真上を目にも止まらぬ速さでかけぬけていくものがあった。 「……」 (嫌になっちゃうな……。ここまで正確に道が分かるなんて) その長い髪…

其之七拾七

八月九日 午後1時18分さんさんと照りつける日の光の下、徹はゆっくりと頬を伝う汗を感じながら行きかう人の流れの中を歩いていた。 朋にからんでいた男を撃退したあの日からいつの間にか二週間。徹の心配は見事に空振りに終わり、今の今まであの男の姿も、仕…

其之七拾六

(とうとう来た……) 徹の部屋の中。冷えた麦茶を片手に、凛の表情は浮かばなかった。 朋が徹の前であれだけ大きなアクションを起こした。朋は歩いていたら突然からまれたと言っているが、彼女が自分へ差し向けられた者と知っている凛には毛ほども意味を成さ…

其之七拾五

…… ……… 「しかし…あと二週間であれから一年か」 「そうだねぇ」 がたがたとゆれる電車、すいた車内の椅子に並んで座り、ぼんやりと徹と凛は言葉を交わしていた。 どうも夏の電車の空調というのは加減というものを知らないらしい。冷夏、冷夏と騒がれているこ…

其之七拾四

7月23日 午前10時50分「あ、いたいた。おっはよ〜」 朝の有楽町。映画館の前の時計の下に立つ優は、背中の方からかかった声にゆっくりと振り返った。 「おう、相変わらず時間ぎりぎりだな」 「いいでしょ、誰かみたいに…」 そういって後ろにいる徹にチラッと…

其之七拾参

同日 午後7時01分「ヤバイ……足が重い」 「また?いい加減慣れなよ」 夕食の席、箸をおいてふくらはぎを叩いている徹に呆れ顔で凛が応じる。 「だってお前、昼休み挟んで6時間だぞ?それを毎日やってりゃどうしたってこうなるって言うの」 「でも凛と朋はなっ…

其之七拾弐

七月二十二日 午前9時03分「ん〜……!」 朝もやの残る空を見上げながら、テニスウェア姿の徹がぐっと伸びをする。 無事に高校最初の一学期を乗り切り、徹にもいつもどおりの夏休みが訪れていた。 梅雨時はあれだけ蒸し暑かったにもかかわらずその年の夏はどこ…