其之七拾九

(っと…まあこれでいいか)
夏の夜空。寒々とした―徹の部屋と比べればいい勝負ではあるが―冷房の効いたコンビニの中から程よく涼しい空気の中へ出てきた徹。その手には白い、ビニール袋が握られていた。
凛だって全く所持金が無いわけではないから何か食べてはいるだろうが、万が一ということもある。まあ買っておいて損はないだろう、ということで徹が真っ先に向かった先がこの、家から最も近いコンビニだった。
(そういえば凛に初めて会った日もこのパン買ったっけか)
袋の中、一際大きいメロンパンを見ていて思わず頬がほころぶ。しかし今はそんな思い出に浸っている場合ではない。普段から遅くに帰ってくる巴ならばいざ知らず、普段まっすぐに帰宅する凛がいつまでたっても帰ってこないというのは尋常ではない。なにか嫌な予感がしてならなかった。
(さて、どこから探すかな……)
コンビニの前に止めておいた愛車にまたがって考える。「探す」とは言ったものの、凛がどこまで行ったのかすら分からない。「寄る」と言える程度の範囲と仮定しても電車2〜3駅分は見たほうがいいとして……。とても人一人が一朝一夕に探し出せる範囲ではなかった。
「あ、やっぱり立ち往生してる」
諦めをつけ、あてずっぽうに走り出そうとしていた徹の耳に、軽やかな声が飛び込んできた。
「一人で探すなんて無理ですよ、先輩」
「鷹峰…」
見れば、巴のものを借りたのだろうか、随分と裾の長く、薄手の上着を羽織った朋が、スポーツドリンクのペットボトルを片手に立っていた。
「今巴さんが知り合いに電話して事の旨を伝えてます。それで巴さんが『あんたも少しは頭を使え』ってつたえろって」
「あ゛〜、さいでっか」
目の前に、腰に手をあて、こちらを見下ろしている巴がいるようで、徹は小さく息をついた。
「で?そのためだけにお前は来たのか?それなら電話一本で済んだだろうに」
そういって自分の携帯を目の前で揺らしてみせる。実際、徹がここにいるという確証も無いのにあてずっぽうで探し出すなど、徹が凛を探し出す程ではなかったが、それでもかなりの賭けであった。
「まさか。そんな馬鹿なことしませんよ」
対する朋は、呆れたといわんばかりの顔でペットボトルに口をつける。
「私も手伝おうと思ったんです。三木先輩に頼んでテニス部やクラスの人に連絡はしてもらってますから」
「へえ……」
手が回るねぇ、と言おうとして口をつぐむ。ペットボトルの蓋を閉めてこちらに振り向いた朋の背後に、大きな4つの人影が見えた。
「鷹峰!来い!」
「え……」
朋の返事もそこそこにその腕を思い切り引っ張った次の瞬間、真ん中の男の右足が鋭く空を切った。
「乗れ!」
「え?」
「つかまれ!」
状況を飲み込めていない朋を無理やり自転車の後ろに乗せるとペダルを踏み込む。見れば4人の中の端にいたのは2週間前、徹が見事に倒してのけたあの男だった。
「畜生!なんで今更仕返しなんかに来るんだよ!」
吐いたところで何にもならない悪態をつきながら、できるだけの力でペダルをこぎこむ。半年以上ならしただけあってそのスピードは二人乗りとは思えないほどであった。しかし……
「先輩!もっとスピード…!」
「分かってる!」
振り返るまでもない。追っ手が少しも引き離されること無くついてきているのがひしひしと感じられた。
(何でこれについてこれる!?向こうは生身の人間だろ?)
どんなに問いかけたところで答える者はいない。もういつ止まってしまってもおかしくない。そんなふうに感じられる足を必死に動かして徹はペダルを回した。
「くそ……」
流れる汗が頬を伝う。
一瞬、動かし続けていた足の力が緩んだ。
……
………
本当に一瞬のことだった。僅かに足が止まった瞬間、自転車が急に軽くなり、徹の耳に「ひゃっ」という朋の小さな悲鳴が聞こえた。
「鷹峰!?」
急ブレーキをかけて止まると、ハンドルをきって振り返る。
「……」
「残念でした」
息が切れ、まともに言葉を紡ぐことさえままならない徹を見下すように男の一人がつぶやく。
「まあ、こっちにはこっちの都合があるんだ」
「何も知らないなら、余計な首は突っ込まないことだな」
「待て…!」
振り返って徹の前から去ろう男達に叫び、震える足で自転車を漕ぎ出す。しかし、僅かに1メートルも進まないうちに男達の中の一人に足で止められてしまった。
「突っ込むな」
静かにしかし確かに伝わる威圧感。表情のない男の顔が、一層徹を萎縮させた。
目の前では口をふさがれた朋が無駄な足掻きを続けている。しかし、徹の意に反して体は限界を迎えていた。
「……そんなに悔しいか?」
不意に男が徹に問いかける。
「……」
何が言いたいのだろうか。黙り込んで男をにらみつける徹に呆れたかのように男は目を閉じると、ゆっくりとため息をついた。
「行くぞ」
「ま…!」
もはや徹の言葉も届かない。一瞬のうちに徹の前から4人の男と朋は姿を消していた。