其之九拾九

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「おっと…ここだ」
どれほど走ったのか、肩で息をしながらも、天井にあいた大きな穴を見つけると徹が立ち止まる。そこま間違いようも無い、あの智と徹が二度目に出会った場所に他ならなかった。そしてそのすぐそばには……
「あった。これだよ、徹」
凛の指差す先に、マンホールほどの大きさの光る足場。凛が言うにはこれがこの世界からの出口の目印らしかった。
「で?俺はただここに立っていれば良いんだったよな」
「そう。あとは足場のほうが勝手にデータを読み込んで、あのせまっくるしい箱の中に移してくれるから」
「おっけ。分かった」
小さく頷くと、一歩だけ足場の中に足を入れて立ち止まる。
「なあ……この傷って向こうに戻っても残るのか?」
「え?」
突然の質問に素っ頓狂な声をあげ、少しして凛が噴き出した。
「何を心配してるのかとおもえば……。大丈夫だよ。こっちで受けた傷が向こうの体に移るようなことは無いから」
「そっか」
肩をすくめて笑顔を作ると、もう一方の足も足場の円の中に入れる。と、淡く光っていた足場が急に強い光を発し始め、光の円柱が徹の体を包み込んだ。
「……なあ、お前もちゃんと戻って来いよ?」
どんどん強くなる光を感じながら遠慮気味にたずねる。その徹の顔には無意識に微笑が浮かんでいた。
「もちろん!さっき散々怒られちゃったもんね。ちゃんと戻ってお金返すよ」
「あ…あれはだな……」
あわてる徹に凛が笑い、遅れて徹も笑う。彼を取り囲む光はより一層強くなり、二人の居る場所にも揺れは伝わり始めていた。
「私はたぶんあいつの部屋の中のボックスに出てくることになると思うから。外に出たら家の中に入って、二階の二番目の部屋で待ってて」
「分かった。それじゃあ……」
徹の周りの光が一層強くなる。
「先に言ってるからな」
そういい終わるや否や徹の意識が飛び、またも風が体を通り過ぎていくような、気味の悪い感覚に徹は襲われた。
………
…………
……
「……戻ってきた…のか」
くらい電話ボックスの中、パッチリと目を開けて徹は足に力を入れた。
もともと生身の体を離れるという経験自体そうそうできるものではないと思うが、3時間も自分の体を動かしていないと何もかもが新鮮で、ただ立つだけでも重力を感じられるような気がした。
そのまま肩で無理やり押すようにして扉を開け、頭にかぶったヘルメットを脱ぐと住宅街の通りに足を踏み出す。そろそろ日付が変わる頃だろうか、辺りの家には僅かの光も点っていなかった。
「確か二階の二番目って……てかこのコードののびてきてる部屋のことか」
家の外から目的の部屋を確認すると、扉の取っ手に手をかける。凛はこのことを知っていたのだろうか、なぜか家の鍵は開いていて、しかしなぜか家の中に人が立ち入った形跡は無かった。
(まあ…いいか)
一応靴を脱いで玄関を上がると、階段を上ってその部屋の扉を引く。
「……ひでぇ」
一瞬徹はその光景に言葉をなくした。床一杯に広がったコードのせいで足の踏み場らしいところはほとんど見受けられず、主の居なくなった今でもあちこちでチカチカとダイオードが光っていた。
「ここで待ってればいいのか?」
適当な所でベッドに腰掛けると部屋の中を見渡す。コンピューターの数だけを取ってみても、普通の高校生が持ちうる量ではなかった。
(見事なお坊ちゃまだな……。ん?)
ふとその中に一つ、徹の目を引くモニターがあった。
ベッドから降りてその前に歩み寄り、近くでよく確認する。
画面の左下にはどんどん短くなっていくゲージバー。その横にはどんどん削り取られていく地図。どうやらそれはついさっきまで徹がいた仮想空間の現在状況を表しているらしかった。
「へえ…こんなふうになってたのか。しかし何がしたくてこんなに無駄な部屋をたくさん作ったんだか……」
描かれた廊下にたどって地図の上を指でたどる。と、その一番端のところに一つ、小さな点を見つけた。
(なんだこれ?)
ふと疑問に思ってマウスを手に取りカーソルを動かす。とその途端、地図やゲージバーを覆い隠すように一つのおおきなウィンドウが開いた。
「な、なんだ?」
唖然とする徹の前で何かを読み込んでいるのだろうか、コンピューターが短い電子音をたて、真っ白い画面がチカチカと光る。そして突然、キュウン…という音を立ててそこにどこかの風景が映し出された。
「な…!」
(凛?)
データの読み込みが進み、画面が鮮明になるにつれて、そこに立つ人の顔が明らかになる。見ればそれは、すこし前に徹が凛と分かれたところで一人、凛が何か話そうとしている動画だった。
(何を言ってるんだ……)
凛の口の動きを見ながらスピーカーの音量を上げる。程なくして聞きなれた声が飛び込んできた。
『……っています。たぶんまだ徹は部屋についてないよね。さて、あんまり時間はないから本題。実はさっき徹に言ったこと嘘です。予備の出口なんてありません』
あっけらかんとしたようすで画面の中の凛が言う。瞬間、徹の中でなにかが切れた気がした。