其之八拾

(………畜生)
何も考えられなかった。息は切れ、足は振え。男達の行方は知れず、凛はおろか朋の居場所さえ分からなくなってしまった。
(…帰ろう)
自転車から降りて徹は歩き出した。
これ以上ジタバタしてもろくなことがない。凛はともかくとしても朋の方は下手に手を出せる状況ではなくなってしまった。
(一度帰って、ちゃんと手を打とう。このまま探したって……)
押していく自転車が妙に重い。消えていく足の痙攣とは裏腹に心にのしかかっていく見えない錘。ゆっくりと身体の力が抜けていく。すうっと目を細め、徹は頭を垂れた。
「…!」
ふと、黒いアスファルトの上に街灯の明かりを受けて輝く白いカードが落ちていた。
(なんだ……?)
ゆっくりとかがみこんでそれを拾い上げる。よく見なければわからなかったが、そこにはうっすらとした黒く、細い線で何かが書かれていた。
『悔しかったらここまでおいで』
人を小ばかにしたような文章の下に同じく細い線で詳細な地図が描かれていた。
(これは……何がしたいんだ?)
訝しがってカードを裏返すと、そこに別の文字が浮かび上がる。
『急げばもう一つの探し物も見つかると保障しよう。遅れたときは……』
偶然か、それとも意図的にそうしたのか。それ以上は読み取れなかった。
(…………)
迷うことは無かった。無言で携帯を取り出して家の番号を探し出す。

ツー、という音の後でコール音。しかし、突如として音はプツッと途切れ、またもツー、ツーという音が聞こえるだけになった。
(?)
いぶかしんでもう一度かけてみても同じ。ためしにほかの番号にかけてみても一向につながる気配は無く。4件目に佳織の携帯にかけたところでブチッと嫌な音がしたかと思うと、携帯の電源すら入らなくなってしまった。
「どうなってるんだ?」
さすがに徹も考え込んで携帯をしまうと、もう一度カードを目の高さまでかざす。
状況が状況だけに急いだほうがいいのは確か。しかし、全く連絡を取らないまま、というのもとても感心できる行為とは思えなかった。
(そもそもなんで電話がつながらないんだ?電池はちゃんとあったし…まさか圏外でも……)
考えてみても答える者はいない。
「………」
眉間に手をやって天を見上げると、ふうっと長く息を吐く。
(……行こう)
徹は再び自転車にまたがった。
このカードが嘘でも本当でも、嘘と決めてかかって失敗するよりは本当だと信じたほうがまだましな気がした。仮にこれが罠で、自分がはめられるとしてもそのときは別に助かる手を考えればいい。しかし、もし万が一これが本当であったとすれば凛や、朋の身にかかわる。どちらを取るべきかは一目瞭然だった。
「どうか良いように転びますように」
柄にも無くそうつぶやいて、徹はペダルを強く漕ぎ込んだ。
…………
………
「ここか……」
自転車を飛ばすこと20分。徹はどこにでもありそうな住宅街に来ていた。
途中に朋のもっていたペットボトルが落ちていたことからも地図に誤りは無いはずなのだが、そこにはそれらしい人の気配など無く、そのかわりにただの住宅街にはつり会わない、黒塗りの電話ボックスが置かれていた。
(俺はスーパーマンじゃないぞ)
青いスーツの銀行員を思い浮かべながら注意深く辺りを調べる。と、電話ボックスの後ろから伸びているコードが目に付いた。
(……この家からか?)
コードをたどってすぐそばの家の玄関の前に立つ。5本の太いコードはその家の二階の窓から壁を伝って伸びているようだったが、外からではその中に何があるのかは分からなかった。
「……」
固唾を呑んで拳を握りめると、再び玄関の前に立つ。
『遅れたときは……』
ふと、思わせぶりなあのカードの台詞が思い出される。確かにポケットに入れておいたはずのカードは、いつの間にか、まるで本当に消えてしまったかのようにポケットの中からなくなっていた。
もう一度、覚悟を決めるように拳を握りなおすと、ゆっくりと扉の横のチャイムまで手を伸ばす。
ピンポーン
状況に似合わない、間延びした音が徹の耳にも聞こえる。しかし、チャイムの横についている画面には一向に家の住人が顔を現す様子は無かった。
(ちっ…)
足元にあった小石を蹴飛ばして下を向く。あのカードが本当ならばあまりのんびりしているわけにもいかない。
「どっかの窓から入り込むか……」
小さくつぶやいてその場を離れようとする徹。とそのとき、光を失っていたインターホンの画面にパッと明かりがともった。
「!」
はっとして玄関の前に戻る。しかしそこに映し出されていたのは人の顔ではなく、先程のカードと同じような文字が描きだされていた。
『外の電話ボックスに入って、中にあるヘルメットをかぶれ   そして扉を閉めれば……』
またしてもその先はなぜか書かれていない。
(どういうことだ?)
徹が眉をひそめているうちに、画面は再びぷっつりと光を途絶えさてしまった。
(……ここまできたら行くしかない、か)
今更「罠かも…」などと考えたところで埒が明かない。ここまで来た時点で既に徹は何かが吹っ切れていた。
「これをかぶったらぽっくり、なんて事はないよな」
光のない電話ボックスの中にもぐりこんでヘルメットをかぶる。手探りで扉を探し当ててゆっくりとそれを閉めた次の瞬間、体を風が通り抜けていくような感覚とともに徹は体の内側がどこか後ろに吹き飛ばされるような感覚を覚え、そしてゆっくりと意識が薄れていくのを感じた。