其之百

(なん…だと……?)
唖然とする徹を置き去りにして動画は進む。
『でもきっとああいわないと徹はおとなしくそっちに戻ってくれないだろうと思ってさ。そうでしょ?最悪徹、私と一緒にここに残るって言うんじゃない?でもダメなんだよね。私はもともとこっちに生まれたプログラムだけど、徹は現実に存在するれっきとした人間なんだもん。そんなのダメに決まってるよ。だから嘘をつきました。ごめんね?』
『本当は色々言いたいこともあるんだけどさ……それを言い出すと長くなるから止めます!ただ一言、ありがとうね。本当に色々と。突然押しかけて迷惑だったろうに……最後はこんなことにまで巻き込んじゃって……』
画面の中の凛が言葉を詰まらせる。見ればその目には大粒の涙がたまっていた。
『ああ……それと…。文化祭の時。あんなふうに勢いで……告白しちゃったけど……。徹の事が好きなのは本当だからね?』
目にどんどんたまっていく涙を拭こうともせずに凛は続けた。
『それじゃあ……私はここが完全に消滅するそのときまで、空間の一番端っこで徹のことを考えてようと思います…!本当に今まで……ありがとう。それで……ごめんね』
ブチッと音を立てて。動画の画面が消えて、画面に元の地図が映し出される。徹はただ呆然として突っ立っていた
(嘘だった……だと?)
グワングワンと鐘を打ったように鳴り響く頭で必死に考える。
(凛が泣いてて……出口はなくて……ごめんねって…)
途端に、まるでどこかに行っていた意識が戻ってくるような感覚がして徹はその場に跪いた。
「馬鹿…野郎が……」
涙が床に落ちる。情けない。智のまえであれだけ大口を叩いておきながら、結局最後まで凛に助けられて……。余りのことに立ち上がる気力さえ起こらなかった。
がしかし、ふと徹の心に一筋の明かりが灯った。
(智の……前…)
ふうっと意識が離れるような感覚と主に、ハイスピードで記憶がフラッシュバックする。
鞭が風を切り、男達に殴られ、朋が笑って……
 『諦めた時は最後、何も出来なくなる』
(そうだ……)
そうじゃないか。自分で言ったんだ。今それを実践しないでどうするというんだ。
そう自らを奮い立たせて立ち上がると、再びモニターの前に向かう。
(さっきの話からするとこの白い点は……やっぱり、凛か)
カーソルをその白点にあてると、横に小さな時で「凛・フェルマー」と映し出される。
(残りパーセンテージが12パーセント……まずはこの削除がキャンセルできれば……)
時間がないのは日を見るより明らか。とりあえずゲージバーの移っているウィンドウをけそうとしてみるがそれに何の反応も見ることは出来ない。
(そうかよ……だったら……)
半ば自棄も入っていたのだろう。考えようにも徹には中の上程度の知識しかない。そうなればもはや思いつくことを片っ端から試すしかなかった。
………
…………
……
「……くそっ」
思わず徹は机を殴りつけた。
(なんだよ……どうしろっていうんだよ…)
削除のキャンセルやパソコンのシャットダウンはおろか、データのコピーや移動もプロテクトがかかっていて不可能。徹にプログラムを書き換えてそのプロテクトをはずすだけの技術があるはずもなく。ましてプログラムは下手に書き換えれば余計にデータを傷つける可能性があるのでうかつに手を出すわけには行かない。
そうこうしているうちに時間はすぎ、何の打開策も見つけられないままに残りパーセンテージは5パーセントにせまっていた。
地図の方を見ても、もはや崩壊の波と凛の間とは開いていてせいぜい100メートルといったところか。本当に時間がなくなっていた。
しかし、徹にもまったく打開策が思いつかないわけではなかった。
「やるしかないか……?強制終了」
たしかに今現在、まともな方法で電源を切る事が出来なくなっているこのパソコンでも強制終了はできる。そうすればデータの削除も止まるであろうから、その間に凛が逃げ出すこともあるいは可能かもしれない。しかし……
(でも……)
徹は考え込む。動作中の強制終了につき物なアクシデント、データの損失という存在が彼の決意をためらわせていた。
うまくいけば現状においては最良の打開策となるであろうこの作戦ではあったが、万が一そのせいであの空間のデータが損なわれてしまっては元も子もない。しかし時間がないのもまた事実。いよいよ徹は究極の選択をせまられていた。
(残りは……3パーセントか……)
凛と波との間の距離ももはや50メートル程度といったところ。悩むじかんすら残っていなかった。
(……くそっ…!ダメだったら…許せ、凛…!)
選ぶというより、もはやそうするしか手はなかった。一思いに指を突き出し、電源ボタンを押し込む。
(1・2・3・4・5……)
と、ブチッという音がして画面が真っ暗になった。
(後は……信じて待つだけ!)
日付はとっくに変わっていたが、徹は眠気など微塵も感じなかった。窓の外は、まだ夜の帳が空を覆っていた。


……それから
結局その夜再び凛が俺の目の前に現れることはなかった。散々悩みはしたが、もし本当に脱出の手段がなかった時、凛があの世界で飢えて死ぬ可能性を考えて、部屋を出る前にパソコンの電源は入れなおしておいた。
智の入っていた電話ボックスは、凛が戻ってくる時のことを考えてコードを抜き、外にあった電話ボックスと入れ替えておいた。案外電話ボックス自体は軽い設計だったらしく運ぶのに苦労はしなかった。驚いたことに、何が悪かったのか智の体のはいった電話ボックスを外においてしばらくしてそれが大爆発を起こしたので、智の体が発見されることはないだろう。あわてて外に伸びていたコードを回収したので人に見られていないか心配だったが、今まで身の周りに何も起こっていないことを見れば、目撃されていなかったのだろう。
ちなみに電気が止められて凛が出てこれなくなるようなことはない。あの家は随分おおきな自家発電システムを持っているようだったので、入院中とはいえ智の母親が生きている限り問題ないだろう。

結局その日俺が家に帰ったのはすっかり日が昇ってからのことだった。智の言っていた記憶を操作、とかいうのが関係しているのか、智のところから帰ってからはじめて俺の顔を見る時は皆一瞬記憶を探るような顔をしたが、その後は特に変わったところはない。ただ一つ、凛のことを除いては。
あの日以来、なんどか周りの人間に尋ねてはみたが、誰一人として凛や朋の存在を覚えているものはいなかった……