其之八拾六

「落ち込んでいる君に最高のプレゼントだ。どうしてあいつはお前にそのことをこれっぽっちも話さなかったと思う?朋が現れて自分が追い詰められる中、助けを求めてもよさそうだとは思わないか?」
「それは……俺に知られたくなかったから…」
(そりゃそうだよな……女奴隷っていやあ…よ)
くっと俯く徹。と、突然智が噴き出して、大声で笑い始めた。
「ハアッハッハ…!なるほどなあ。そういう楽しみ方もあったかもしれない」
(……また読まれたのか)
少し遅れて状況を把握する。と同時に自分の想像していたことを読まれたという事実に妙な恥ずかしさが襲ってきた。
「だが残念だったな。こう見えて俺は結構モテるんだ。あいにく、女には困ってないんだよ」
「僕もそばにいるしね〜」
まだ笑いのやまない智に朋が寄り添ってみせる。徹はまるで芹山だな、とおもったがそれ以上考えるのは止めておいた。この状況で智を刺激してもろくな事がない。
「答えはな、お前だよ」
「俺?」
「そうだ。朋がお前の家に来たとき。お前はこいつの体に触れただろう。そのときだ。こいつらが現実世界にいるときの体は、時に分離してほかのものに紛れ込ませて使うこともできる。」
「あの時は指先からこっそり先輩の胸の中にそうですね……指一本分くらい入れさせてもらいました。そうすることで先輩のそばの音は全て拾えるし、ちょっと神経につなげば何を見ているかも分かる。もしもあの子が先輩にこのことを話せば……こうです」
朋がそういうのにあわせて智が指を鳴らす。徹は右胸のどこかに針がささったような気がした。
「カッ……!」
息が出来ず、胸を押さえて前かがみになる。胸が熱く、息を吸い込もうとしても気管を通る空気の感覚は皆無に近かった。
(ダメ…だ)
バランスを崩して床に転げようとしたところで不意に胸の痛みが消えうせ、懐かしい空気の感触が肺いっぱいに満ちた。
「もしあいつが少しでも漏らせば、こうしてお前の右肺がつぶれることになってた。もっとも今のは感覚を再現しただけだけどな」
「実際先輩の周りで起こることは丸分かりだったんですよ?あの調子じゃあの子が来てから一度もしてないみたいだし……実は結構溜まってたりして」
そういって朋が、どこか部屋の外へ消えたあの女とよく似た意地の悪い笑みを浮かべる。だが徹の視界にそれはぼんやりとしか映らなかった。
(なんだよ……それまで俺のせいだってのかよ…)
結局、凛が再び捕らえられたのは全て自分のせいだった。それを知ったとき、徹の心は深い海の底へ沈み落ちた。
智はやはりそれを楽しむように、満足そうな笑みを浮かべると、丁度戻ってきた女の方に顔を向ける。
「やってきたか?」
「はい」
「タイマーは」
「作動しました。ゲートも」
それだけ言うと女は智の椅子の横に並んで立つ。智は呆然としている徹のそばまで歩いてくると半ば無理やりに立ち上がらせた。
「こっちに来るといい。こっちのいすの方がすわり心地もいい」
そう言ってさっきまで自分が座っていた椅子を180度反転させ、そこに徹を腰掛けさせる。徹が横を向くと、同じような椅子に座っている朋が微笑みかけた。その微笑みは確かに徹の知っているものではあったが、どんなに見つめてもつい数時間前まで当たり前のように見ていたそれと同じものとは思えなかった。
「これからその奴隷を紹介してやる。もっとも、とっくに感づいてはいるだろうけど……」
智の言葉に顔を上げると、ついさっきまでただの石の壁だったところは映画にでも出てきそうな白塗りの壁に変わり、そこに一つ、スクリーンで向こうが見えないようにした大きな窓と小奇麗な扉がつけられていた。
「俺の奴隷でありストレス発散の道具。凛・フェルマーだ」