其之九拾弐

「智!智!」
朋ももはや徹には微塵の興味も示さずに窓をドンドンと叩く。いつの間にかナイフと鞭の両方を手にしていた智がそれに気付くのに数秒かかった。
「どうせもう時間も押してるでしょ?そろそろあっち、はじめてもいいんじゃない?」
(あっち……?)
繰り返される痛みに息も絶え絶えになりながらも凛が顔を上げる。智の陰湿な顔の後ろに徹の顔を見ようと顔を上げたが、すかさず胸めがけて飛んできた智の鞭でそれはかなわなかった。
『それもそうだな……』
そんな凛を鼻で笑うと、考え込むようにしながら朋と徹を見比べる。
『実際残りの時間も一時間は無いし……そうするか。おい』
智に呼びかけられて、ずっと部屋の隅に立っていた女が顔を上げる。
『俺が戻るまでこいつ、好きにしていいぞ。』
『本当に……好きにして、も?』
『ああ…』
わかりきったことを、とつぶやいて智は鞭とナイフを投げ捨てる、対して頭を下げる女の顔はにんまりと笑っていた。
『おい、お前達』
そんな女に見向きもせずに窓の奥に目をやると、徹の後ろにひざをついている男達に声をかける。
『話したとおりだ。はじめていいぞ』
(はじめる?)
「おい、何のことだ」
なにか嫌な予感がして、こちらに戻ってくる朋に声をかける。しかし朋はもはや徹に一瞬視線を送ることさえしなかった。
『さあ、こっちもはじめましょうか?』
智の後ろでは、女が智の投げ捨てた鞭とナイフを手際よく端に避け、そのほっそりとした手でむき出しになた凛の内腿に触れる。
『……智様?』
『ああ、わかったよ……』
催促するような女の声に面倒くさそうに答えると、窓を一回軽く小突く。と、マジックミラーのようなものだろうか、すっきりと透き通っていた窓が上辺から少しずつ曇り始め、真新しい鏡のようになっていった。
『女の子同士だもの……すこしは隠さなきゃ、ねえ?』
嫌に艶を帯びた女の声が聞こえる。窓が完全に鏡になる前に、最後に徹が見たのは、もはやほとんど残っていない衣服を女が剥ぎ取って、その両の手を凛の胸と腰の方に伸ばそうとする仕草だった。
………
(何を……するつもりだ?)
向こうの見えない窓の方に流れがちになる意識を何とか自分の周り、ゆっくりと距離をつめてくる4人の男達につなぎとめる。
窓の向こうのことはとりあえず何も考えないことにした。窓が完全に光を通さなくなった途端に聞こえ始めた短く、切なげな凛の声はたとえこのような状況でも、むしろこのような状況だからこそ徹には大層毒だった。その声を聞いただけで頭の中に壁の向こう側の光景が浮かぶ。身動きすらろくにとれず、すぐそばではふてくされたような、一方でなにか楽しんでいるような朋が見ている中でそういう反応が起こることほど惨めなものはないように思えた。
それに、そんな声の中に時々混じる、力のない拒絶の声を聞けば聞くほど徹は自分が情けなくなって力が抜けていくようだった。
「……で?何をするつもりだ?」
ふうっと息を整え頭に上った血をおろすと男達に尋ねる。
「随分落ち着いているんだな?いいのか?」
「自分の彼女がすぐ隣の部屋で弄ばれてるっていうのによ?」
徹の前に回りこんだ二人が口を開き、後ろを固めた二人が耳障りな声で笑う。一切の動作を封じられた徹は4人の男に完全に包囲されていた。
「なこといってもなあ……変に焦ってから回りしてもしょうがないだろ?」
内心では、嫌でも聞こえてくる凛と女の声に僅かな焦りと苛立ちを感じながらも顔には余裕の笑みを張り付けて徹はつぶやく。
その顔がよほど気に入らなかったのだろうか、徹の左前にいた男の肩眉がピクリと上がった。
「ああ…そうかい」
「じゃ、はじめるか?」
何かを確認するように声を掛け合うと、4人が一気に円を狭める。その円が、たとえ徹が自由の身でも逃れられないのではないかというほどに狭まった途端、4人がほぼ同時に、思い思いの方向に拳を引き絞った。
「グッ!」
左のわき腹、鳩尾、右の肩甲骨に左のあばら骨。4箇所を一気に襲った鈍い痛みに思わず声が漏れる。
「なんのつもりだ……?」
痛みに耐えながらつぶやく徹に、男の一人が目を見開いて応えた。
「黙って、口は閉じてるんだな。舌をかんで死なれたりしたんじゃ面白くない」
その言葉の意味を考えることはなかった。そんな間もなく男達が次の一撃を繰り出したからというのもあるが、それ以上に容赦ない殴打、蹴撃の応酬がその言わんとしていることを示していた。