其之八拾参

………
二人が出会ったところからさほど歩いていないところ、不意に現れた流れ行くレンガの上で先に口を開いたのは智だった。そのレンガは規則正しく並べられたその陣形を少しも変えることなく、ただただどこか道の奥へと続き、流れていた。
「さて、まず聞きたいことは?それに応じてこっちも答えよう」
「り…」
「ああ」
凛の…と言うよりもさきに、徹の目の前に手のひらをかざして智が止める。
「彼女達の事はしばらく保留だ。それ以外で頼むよ」
映画か何かのように肩をすくめて見せると、そばの壁に寄りかかる。どこまで続いているのか、レンガの流れは止まる様子もなかった。
「じゃあ……ここはどこで、なんなんだ?」
後ろへ流れていく景色―と行っても扉が並んでいるだけだが―を目で追いながら徹が尋ねる。
見るからに普通ではないし、そもそも自分がどうやってここに来たのかもいまいち分からない。凛のことですっかり失念していたが、よく考えれば到底理解できるものではなかった。
「いい質問だ。じゃあ聞こう、ここはどこで、なんだ?」
「はあ?」
思わず眉をひそめて聞き返す。
「俺がそれを聞いてるのに、同じ内容を聞き返してどうす……」
(こいつの親父がコンピューターの中に作った仮想世界……え?)
「…わかっただろ?」
目を見開いて黙り込む徹を面白がるように智が微笑む。
(何で俺はそんなことを……?)
「俺がお前の頭に『知識』というデータを送り込んだんだよ」
いつまでもこめかみを押さえて俯いている徹に智が助け舟を出した。
「ここは俺の父親が作ったバーチャルワールドでね。見ての通り、こうやって現実世界から入ってくることができる」
「……どうやって?」
怪しむように一歩後退して尋ねる
「お前もやったじゃないか」
「……あの電話ボックスか?」
「ご名答。あれを使って体組織の位置情報を性格にデータ化、それをこの世界に送り込んだ後で、今度は脳の中身のデータパターンを同じくこっちに送り、体のデータから生まれたこちらでの身体を動かすAIの役目をさせるんだ。……つまるところ、自分自身を完全にこの世界にコピーするってことだ」
いまいち理解できていない徹の様子に智が眉をひそめる。
「だからこうして普通に会話もできるし、転べば痛いって訳だ。さらに言えばこの世界のプログラムに干渉できる俺は今みたいに人の頭に情報を送り込むこともできる」
「なるほど……」
つぶやきながら自分の手のひらを見つめていた徹がふっと目を上げた。
「じゃあ何でお前の親父さんはこんなものを作っておいてちゃんと発表しなかったんだ?これだけのもんだ、発表すれば……かなりの大事だろ?」
訝しげに尋ねる徹の言葉に、智の表情が嘲りとも悲しみとも取れる、妙な歪み方をした。
「ところがあの人はかなりせっかちだったからな。ろくに先のことを考えず、このシステムが出来上がったとたんに飛び込んじまった。結果……」
「…閉じ込められたのか」
頭の中に浮かんだ言葉をそのままに言う。どうもこの「頭にデータを送り込む」というのは独特の違和感が伴い、徹は非常に不愉快だった。
「俺が現実世界に戻れるようにシステムを修正したときにはウチの親父は飢えて死んでたよ。最も、身体はもっと前に腐って、法的には死亡扱いだったけど」
丁度流れの止まったレンガからポンと降りると、しっかりと静止しているレンガの上を歩き出す。徹は流れの有無の境目を見極めようとしたが、静止したレンガにぶつかった流れるレンガはまるで相手の中に飲み込まれるようにして消えて行っており、具体的な仕組を見て取ることは出来なかった。
「とりあえずその後俺は、この世界に食料を作ることにした。それがあれば長期滞在も可能になる」
「で、実際簡単に出来上がった。親父さんの遺した設計図のおかげで」
「そう。親父はかなり先の方までこの世界の設計図を作っていた。それこそこれだけ考えながら、どうして帰ってくる手段を確保しておかなかったのか不思議になるくらいに。そしてその際たるものが……」
「……生物…だと?」
自分の言葉が信じられずに思わず徹は自分を疑った。だが、対する智は平然として続けた。
「そうだよ。間違いない」
「……」
「なんてったって、この世界で生物を作るって言うのはちょっと高度なAIと体のデータを作ってやれば良いだけだ。AIのレベルを落とせば今の時代、そこらのゲームクリエイターにだって作れるだろうさ」
(ちょっとしたAIが動かすキャラクターならある程度精巧なゲームには存在してるってことか)
「後はその行動パターンを徐々に多様化、同時に学習能力を加えればいいんだからな」
簡単さ、といって智は肩をすくめた。
「そこで質問。もし色欲オヤジが自分の好みの女を仮想空間に作れるようになったとしたら、どうすると思う?」
(……今度は自分でかんがえろってか)
「……現実のものにしようとする、か?」
「当たり。そのためにあの人は、そういうものを現実化する方法までは作り上げていたんだ」
「どうやって?」
「……ES細胞。君も上丘ほどのところに通っているならしっているだろう?」
「ああ…まあ、な」
ES細胞、別称幹細胞。いくつもの種類がある細胞、そのどれにでも成長することが可能な特殊な細胞だ。
「正確には違うみたいなんだが……たぶんそれに近いものなんじゃないかと俺は思う。で、それを電子信号配列にそって構築し、最後にその人工の脳にAIのデータを転送する。それだけでもう、一人の人間が出来上がるんだ」
「……」
(実感がわかないな……)
聞いている限りでは筋は通っているようだが、なにぶん相手の言うことが突拍子も無さ過ぎる。正直言って、徹はその全てを無条件で信用することは出来なかった。