「あ〜あ、いい加減、人肌恋しい季節になるなあ。独り身は辛いよ。」
 朝、開口一番そう漏らすのは柏木裕也。背中には、今日から始まる新学期の荷物をつめた鞄。寝癖の残った頭は無造作にあちこちに向かって跳ねていて、挙句欠伸など漏らせばもう、昨晩の様子が窺い知れる。
「それはお前、気が早すぎってもんだろ。」
 そんな様子に呆れながら、同じく久々に重い鞄を背負った晋治は答える。
 実際問題、今はまだ九月の上旬だ。始業式を含めなければ二学期の初日だ。とてもじゃないが、人肌恋しいなどという季節ではない。現に晋治も、裕也も着ているのは半袖のTシャツだし、駅からの道をいく他の生徒達も、それに混じるまったく関係の無い大人たちも、皆それぞれに涼しそうな格好で、中には汗を浮かべている者もいる。まだまだ、昼間は夏模様をくっきりと残しているのだ。
「そうは言ったってなあ、お前、もう秋だぞ?」
「あと一月経ったら、な。」
 何か続けようとした裕也の口を遮って言ってやる。大体、まだ夜に虫の音も聞こえないというのに秋も何もあったものではない。せめてあと半月は待つべきだ。
「柏木君のそれは年がら年中、いつものことだもんね〜。」
 と、背後から突然女の声、藤崎陽菜。こちらもやはり、半袖のワンピース姿で走ってきて、晋治、裕也の後ろにつく。挨拶ついでに「まあ、確かに。」などと答えてやると、横で裕也が舌を打った。
「そうは言うけどなあ、お前ら、それでも秋になるまでせいぜいあと一ヶ月だろ?秋が来たら、冬は早いぞ?あちこちでクリスマスソングの流れる中で独り歩く寂しさと言ったら……。」
「ところで加藤くん。」
「何か?」
「……。」
「あれ?どうしたの、柏木君。別にそのまま独りで喋っててもよかったんだよ?」
 ああ、笑顔とはこうも恐ろしくなるものだろうか。にっこりと笑った陽菜を横に思わず晋治は軽く奥歯を噛み締めた。

 昨晩は晋治にとって本当に災難だった。一通り温まって、そろそろ風呂から出ようかというところであの居候の襲来だ。こっちはタオルさえもない、文字通りの裸。対するは、図々しい猫又。仮にも一晩を過ごした部屋の主に敬意を払おうなどとするはずも無く……。思い出したくも無いが、挙句の果て「襲われなかっただけ良かったと思いな」で済ますあたり、相手の性の悪さを垣間見た気分だった。
 それにしても一体、アレはどういうつもりなのだろう。
 晋治は思う。
 もちろん、本人から聞かされた理由、すなわち、話し相手が欲しかった、というのを完全に信用していない訳ではない。むしろ、あの居候の行動次第は、その理由の範疇において十分理解可能なものだと思う。もっとも、それに精神的な許容は必ずしも伴わないのだが。しかし、分からないのだ。単に話し相手が欲しいのならば、別に自分である必要はないのではないか。訊く限り、探せば同じような、妖怪紛いのものなどは晋治のような存在が気付かないだけでいくらでもいるのだろうし、その中で気の会う話し相手もいるであろう。だというのに、なぜあえて自分なのか。本来出会うことも無い、ただの人間なのか。きっと考えても分からないのだろうけど、それがどうにも不可解だった。