私立の中高一貫校、上丘学園は特徴的な学園だ。共学制であると同時に制服などは一切定められておらず、入学して一ヶ月もすれば制服を着ているのは全校通じているかどうかというほどになる。放任とも取れる開放的な校風は、この学園の名前を一度でも耳にしたことのある者ならば誰でも知るところだろう。
 その上丘学園、高二の教室の一つに俺はいた。時間は十時過ぎ。高校に上がるのにあわせて柔道部から帰宅部に席を移したから、もうすぐ終わるであろう担任の話が終わればそのまま家路につくことができる。すこぶる身軽な身の上なのだ、本来は。
「おい。」
 担任の解散の合図で席を立った俺に、すかさず呼び止める声がかかる。ほら、これでもう、逃げられない。
「……なんだ。」
「溜息とはまた随分だな……。」
「加藤君が柏木君に冷たいのはいつものことじゃない。」
「お前がそうやたらと辛辣なのもな。」
 振り返った先には、丁度帰る方向が同じ二人組み。昨晩、長々とメールで他人の夏休み最後の時間を奪っていった男、柏木裕也と、笑顔で、悪気も悪意もなしにすっぱり痛いところをついて来る女、藤崎陽菜。我ながら、時々どうして知り合ってしまったのか首をかしげることもある存在ではあるものの、事実、この二人が多分、今現在同学年にいる中では一番俺が親しい相手なのだ。
「お前ら部活は?俺みたいな帰宅部暇人に付き合ってていいのか?」
 言い忘れたが、この二人は俺と違ってちゃんと文芸部というれっきとした部活に席を置いている。
「こっちも今日は部活無いからな。」
「所詮趣味の部活だもんね。運動部みたいに始業式早々活動はしないんだよ。」
「そいつは結構。」
 呼び止められたのは俺の方なのに、いつの間にか俺だけがまだ鞄を担いでいなくて。机の脇にかけておいたサックを右の肩に担ぎ上げた。
 帰る方向が同じ。この学校の場合その言葉が即、家がそこそこ近いということを示すことにはなりえない。どちらかといえば都心部に位置するこの学校の生徒の大半は電車通学で、ここにいる三人もその大半の内の一部なのだ。だから、多くの場合帰る方向が同じとは言っても最初に使う路線とその方向が同じというだけ。そんな中で、現実に、その気になればそれぞれの家を自転車で行き来できてしまうこの三人というのは珍しい存在なのだろう。
「それにしてもお前の鞄、相変わらずやたらと膨らんでるな。」
 地下鉄の車内。まだ暑いこの時期、冷房の風にあたりながら柏木が話しかけてくる。
「あれか?相変わらずいろいろ放り込んであるのか?」
「ああ、相変わらず、だ。」
 朝方にあの奇妙な新参者にも言われたことだ。俺の鞄は、確かに新学期一日目、始業式の日にしては多少膨らんでいる。理由はといえば、その中に常に色鉛筆があり、ボールペンがあり、スケッチブック兼雑記帳があり、ソプラノリコーダーといくらかの楽譜があり、文庫本が数冊あるから。いぶかしんだあの白猫に、「いつでも絵がかけて、文章がかけて、曲がふけて、退屈しないため」と教えてやったらしばらく考え込んだ後で「間違えない。お前はやっぱり非常識人だ」と真顔で評された。因みに、色々と役に立つので刃渡り三センチのビクトリノックスをポケットに常備していることは、横にいる藤崎を含めて五人ほどしかいない。柏木は、多分知らないはずだ。
「まあ、中二で会った時からまるで変わらないんだから、いまさら変わるほうがおかしいか。」
「つまりそのときから加藤君は変わってたわけだ。」
「……。」
 言った本人に自覚の無い場合、こういう台詞にどう対応すればいいのか。
 相変わらず迷う俺の背後でシュウッという空気の漏れるような音。振り返ればそこはもう俺の降りる駅で。
「じゃあ、今学期もよろしく」
 返事を返してくる二人に片手を挙げて答えながら、俺はホームの点字ブロックを跳び越して電車を降りた。