〜9〜②

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「おいミシェル?お〜い」
「ん……なに?」
「なにって……。もうすぐ二時間目始まるぞ」
 背中からかけられた声に、ミシェル・チェインズはもぞりと、起き上がった。顔をあげて前を見れば、丁度教壇の上に教師が上ろうとしている。慌てて、淡い金髪を手櫛で整える。そんな様を観察しながら、隣の席の住人であり、ミシェルを眠りの園から連れ戻した張本人でもある、少年が口を開いた。
「昨日もまた、寝てないのか?」
「うん……、まったく、っていうわけじゃないんだけどね」
 いいながらコツコツとこめかみを叩く彼女を、やや肌の黒い少年、イザークが心配そうに見つめている。
 学年のうちでも輪をかけて悪名高い、ガキ大将とも言うべき存在、レイソン・マグネリオ。彼が街の不良連中と一緒に、獣に惨殺されてからはや一月が経とうとしている。家の力と話術で手下を増やす一方で、やはり彼を快く思わない者も多かったのだろう。彼の死そのものに対しては、他のもの同様彼のことを良くは思っていなかったミシェルでさえ、レイソンが哀れに思えるほど、校内での反応は冷たいものだった。本当に、噂さえも一週間すら続かなかった。それはレイソンの人柄が悪かった、ということもあっただろう。しかし、それ以上に、それを打ち消してしまうほど大きな噂が皆の関心を独り占めしていたからでもあった。
 レイソンが常々半獣扱いしていたシーナ・チェルスタインが本当に半獣化して暴走し、その場にいた人間を全員殺し尽くした、という噂。そしてもう一つ、同じくその場にいたマーク・グレイスがその日以来行方不明である、という噂。
 同じ学校、しかも同じ学年の中で一人が半獣で、その手にかかって一人が死に、その半獣と中がよかったもう一人が行方不明ともなれば、自然と校内の関心は集まる。上の学年の中ではようやく一部で熱から覚めた者も現れる一方で、未だに全校を見渡せばあちこちで半獣がらみの噂話が飛び交っていた。
「きついこと言うようだけどさ。いい加減無理だと思うよ?」
 出席をとる教師の声をよそに、囁くようにイザークが言う。対するミシェルは一言、うん、とつぶやくだけ。
 校内で、噂話に興じているものなら数え切れぬほどいただろう。しかしただ一人、他とはまるでベクトルの違う思案をめぐらせていたのがミシェルだった。
 殺されたレイソンはともかく、行方不明のマークは密かに想っていた相手だったし、シーナはクラスの中でも親しかった友達だ。現に、三人の事件が起こった当日の朝も、前日のうちにマークをつれてくる時間をこっそり教えてくれた。そのシーナが半獣であったなど、そしてマークが行方不明だなどとは、ミシェルは信じきれずにいた。
「さすがにシーナの手にかかってマークが、なんてのは無いと思うけどさ。もう一月経つんだよ?」
 噂話は広がればきりが無いもので、中にはマークもシーナの手にかかったのでは、と悲劇ぶって語る連中もいて、ミシェルはそれを見るたびに奥歯を噛み締めていた。
「そろそろ、諦めもつけたほうがいいって」
「うん……、わかってるんだけどね」
 悪気が無い、それどころか自分のことを真に思って言っているのがわかっているので、ミシェルも怒らない。すぐ横の、少し色黒で、背の高い少年は数少ない、悲しむ自分を気遣ってくれた相手だったのだ。
「わかってるんだけど、やっぱり……」
「……まあ、ゆっくりやってこう」
 やさしくそれだけ言うと、イザークは自分のノートに視線を落とす。それがこそばゆくも嬉しくて、ミシェルは小さく微笑んだ。