〜7〜その2

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 どれほどたったのだろうか。しばらくして方をそっとゆすられる感覚でマークは目を覚ました。
「ついたわよ」
 ようやく目を開けたマークの顔を覗き込んでいたミンがそういうと、ささりっぱなしにしてあったハンドル脇のキーを抜く。マークも欠伸交じりに伸びをすると、ドアを開けて石畳の地面に降り立った。
「丁度お昼過ぎだし、どこかでご飯を食べてから調査のほうに入りましょ」
「わかった」
ミンが車に鍵をかけるのを待ちながらマークは短く答えた。振り向くといつの間にかすぐそばにシーナが立っていて、ザイルはといえば一人車のフロントカバーの上に座ってどこか遠くの方を見つめていた。
なるほど、こういうことか。
マークは前にミンが言っていた言葉の意味をようやく理解した。
『仕事以外だといっつもあれなんだから……』
その言葉の通り、今日のザイルは普段の彼とはまるで別人だった。話に突然割り込んできて人の揚げ足をとるようなこともしなければ、自分勝手に動き回ってはミンにおこられることも無い。これまでの二度の任務でもそう言えば普段にくらべて随分おとなしかったような気がしないでもないが、今日は一段とそれが顕著だった。
「そういえばマースはいつから合流するの?」
 陽気に言葉を交わしながらすれ違っていく通行人たちをなんとなく目で追いながら尋ねる。両脇には様々な店が並んでいて、通り全体がにぎやかな声に包まれていた。
「たぶんもうどっかにいるんじゃないかと思うんだけどなあ……。一応待ち合わせをしてはいるんだけど」
「後ろ」
「マースのバイクの音がします」
 突然、ぼそっとザイルがつぶやき、シーナも続く。マークとミンが振り向くと、人ごみの向こう、5メートルほど離れたところでバイクにまたがって丁度ゴーグルをはずしたマースと目が合った。
 マーク自身も最近知ったのだが、マースは半獣たちの中で唯一正式な運転免許を持っているのだそうだ。なんでもメディスが時々マース一人で任務に当たらせるときのためにとらせたらしい。本来任務の際、半獣にはリーダーがついていなければならないのだが、それだけメディスがマースを信頼しているということなのだろう。あまり大きな声では話せないことなのだが、実際マースが大きな問題を起こしたためしが無いのでだれも文句を言わなかった。
「さすがに早いわね」
「途中渋滞してたでしょう?たぶんその間に追い抜いちゃったんだと思います。ついでにお昼も食べられる宿を探しておきました」
 さすが、半獣たちの中でもっとも信頼されているだけのことはある。マークは彼の仕事ぶりに舌を巻いた。
「ありがとう。じゃあとりあえずそこでお昼をすませましょ」
「こっちです。この通りをまっすぐに進んで3軒目。ほら、あの赤い看板の」
 マースの指し示すほうに目を向けると、丸太を組んだようなデザインの二階建ての店先に『レストラン・ファルン』と書かれた赤い看板がかかっていた。
「いかにも善良そうな市民によれば(ザイルが「ホントかよ」とつぶやいた)なかなかいい料理を出すそうです。それに……」
 急にマースが口をつぐみ、声を潜めて続けた。
「2人いる従業員の片方が半獣と呼ばれているのを聞きました」
「……本当なの?それ」
「そういう話があるのは本当です」
 つまりその話が本当かどうかは定かでない、ということなのだろう。そうなればシーナのとき同様嫉妬からくる嫌がらせであると思っておいたほうがいい。もっともシーナのときは……。
「マーク君?」
「え、なに?」
「……大丈夫?ボーっとしちゃって」
「ん、大丈夫大丈夫。」
「本当に、大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ」
 ミンに続いてシーナまでが心配そうな顔でマークの顔を覗き込んでくる。マークはそんな彼女の頭をクシャクシャっと乱暴に撫でてやると、すこし早足になって一人先に店の敷居をまたいだ。
「いらっしゃい」
 気のよさそうな老人の声がマークを迎える。みると、看板と同じ鮮やかな赤に彩られたエプロンを白いシャツの上からつけた、白いあごひげをたくわえた老人が白い皿を手にこちらを見ていた。そこそこの歳なのだろう、表情は健康そうであったが背中は曲がり、その足どりもどこかゆっくりとしていた。
「何人で?」
「五人お願いします。それとお部屋も2つ」
 後から追いついたミンが店の戸を閉めながら言う。気付けばシーナはぴたりとマークのよこにつき、じっと立っていた。
「はいはい。じゃあこっちのテーブルにどうぞ」
 老人に促されるがままに木目の浮き出たテーブルにつく。ほとんど全てが木で出来た店舗は石だらけの街の中で際立っていたが、どこか温かみが感じられるようで、なかなか悪くないとマークは思った。
「ご注文は?」
「お任せで」
ミンが手短に言うと、老人は何も言わずに一つお辞儀をして奥の方へ消えていった。
「さて、これからどうするかなんだけど。マーク君?」
「……まず現場の確認。それから情報収集、でしょ?」
「よろしい。こういうことはもう合格点ね」
「そりゃどうも」
 水の入ったコップを片手に言ってそれを口元に運ぶ。冷たい水が流れるようにしてマークの喉を通り過ぎていった。
「じゃあとりあえずお昼を済ませたらマーク君は現場の見回りに、マースはそれについていって。私とザイルは別行動で情報収集に行くから。日が沈むまでにここにまた戻ってきてちょうだい」
「わかった」
「了解です」
丁度そのとき、タイミングよく料理が運ばれてきた。簡単なサラダとクリームシチュー。初夏の昼間から食べるのはちょっと違うような気もするが、食欲をそそる香りにマークは唾を飲み込んだ。
「それじゃ、いただきましょうか?」
 そんなマークを見かねたのだろうか、ミンの一言で五人はそれとなく視線を交わらせると、一斉にスプーンを手に取った。
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「うわあ、こりゃひどいな」
 砕け散ったレンガやガラスの破片。レンガ造りの建物にはさまれた空き地の前に立ったマークの口から思わず感嘆の声が漏れる。つい一週間前まではそこにあったというパン屋は見る影もなく、おおかたの残骸は片付けられたようだったがところどころにまだ建物の残骸と思しき瓦礫が転がっていた。
「ふつう半獣の被害で建物が丸まるつぶれるのか?」
「場合によりますね。半獣の中にもいろいろいますから。腕力のすさまじい種類や変態した途端に身体が大きくなるような種類の場合はありえなくもないです」
「ふうん」
 短く答え、辺りを警戒しながら先を行くシーナの後についていく。店に並べてあったのだろう、瓦礫のなかにすすだらけ、埃だらけのパンも見かけられた。
 ここ一ヶ月。このシャグの街ではこうして建物が破壊される事件が相次いでいた。反抗は決まって夜中。もう店も閉じきり人々も寝静まった時間におこるので、これまで事件の目撃者は一人としていない。そんな中であるとき、一度だけ崩れ落ちた瓦礫の山から半獣が飛び出してくるのを見た、というものが現れたので一連の事件が半獣のものでないかと言われているのだ。
「シーナ、なにか変わったものでもあるか?」
 何気なく足元の瓦礫を蹴り上げながら尋ねる。シーナはといえば瓦礫を積み重ねた山のてっぺんでなにやら黒く汚れた掌に乗るくらいの瓦礫を拾い上げていた。
「この瓦礫……表面の壁紙が焼けてます」
「まあここはパン屋だったって言うし……」
「それくらいは不思議じゃありませんね」
 肩をすくめて答えると、辺りを見回しながらマースが続ける。
「どうします?何なら手がかりが残ってないか、徹底的に探しますけど」
「いや、止めておこう。下手に変態するわけにも行かないしまだ昼間だ。とりあえずほかにまわってみよう。行くぞ、シーナ」
「はい」
 はきはきとした返事を確かめると踵を返して通りに出る。だが、それを突然シーナが止めた。
「とまってください!」
 思わずびくりとして立ち止まる。ふと横を見ると、マースがまるで突然襲い掛かられでもしたかのような形相で振り返って身構えていた。
「足元のパン、見てみてください」
 そんな二人の様子にかまわずに、さっと音も無くマークのそばに走り寄りながら言う。
 パン?
 訝しがりながらもマークは下を向き、足元のそれを拾い上げた。
「これ……食いかけだな。ほとんどつぶれちまってるけどご丁寧に切り口のところがつぶれないで残ってる」
「……おかしいですね」
「ああ」
 横からマークの手元を覗き込みながらいうマースに短く答えて考える。事件発生は真夜中、店も開いていない時間だ。そうすればこれは客の食いかけというわけではないだろう。ならばこれは……
「もっていったほうがよさそうだな。案外役に立ちそうだ。よくやった、シーナ」
「はい」
 ポケットの中から袋をとりだしてパンを放り込むと、片手でくしゃくしゃっとシーナの頭を撫でてやる。マークにしてみればその行為には気持ちなどすこしもこもっておらず、ほとんど儀式のようなものだったが、それでもシーナはいつも嬉しそうに目を細めて答えるのだった。
「次行くか、最低でも半獣が目撃されたっていうところだけは見ておきたいからな」
「はい」
「そうですね」
 それぞれに答えてついてくるマースとシーナに背を向け、マークは肩をすくめた。いつの間にか自分に敬語を使い、後をついてくるものが出来た。しかも一方は自分より明らかに年上であるマースなわけで、なかなか複雑な気分だった。
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……
「ふうん、瓦礫の中に食べかけのパン、ねえ」
 夕刻、西の地平線がいまだかすかに赤みを帯びているころ、レストラン・ファルンの食事用の机でマースを除く4人は話し合っていた。その中央にはマークの持ち帰ったパンと全ての現場から適当に拾い集めてきた小ぶりな瓦礫。もちろんそれ自体が大きな証拠になるとは思えなかったが、何かしらの役にはたつだろうと踏んで、邪魔にならない程度に拾ってきたのだ。
「うん、事件が起こった時間のことも考えるとちょっと引っかかったから」
「うん……どう思う?」
 マークの言葉に考え込むように答えると、横で腕組みをして座っているザイルに声をかける。マースはメディスに連絡を入れるといって先に部屋に上がり、シーナは例のごとくマークの横で背筋を正して座っていた。
「……さっきからすげえ火薬のにおいがする。パンからもその石ころからも。鼻の奥にからみつく嫌なにおいだ」
「火薬?」
「そう、火薬」
半ば疑うように確かめたマークに噛み付きもせずに繰り返す。つまりそれだけの自身があるということなのだろう。もっとも狼の半獣たるザイルの言うことだ。今回のチームの中ではもっともあてになるのは確かなのだが。
「……暴走した半獣が火薬を使うと思う?」
「暴走した半獣なら、ありえないわね」
 「どういう……?」と尋ねるマークに袋の中のパンを指し示しながら続ける。
「ほら、このパン、みての通りの食べかけなのよ。暴走した半獣ならそもそもこんなものに見向きもしないだろうし、食料を求めてのことだったんならできるだけたくさんもっていこうとするでしょ?落とすとしてもそれは食べかけのものじゃなくて手に持ちきれなかったまだ新しいもののはず。もし誰かに見られたんであってもあの時間ならそんなに多いはずはないからその場で処理しちゃうだろうし、あわててパンを取り落として逃げるとも考えにくい。それに暴走していない半獣だったとしてもあえて銃器や火器を使うとは……」
「……つまり?」
「犯人は恐らく人間。仮に半獣だったとしても暴走ではない、愉快犯かなにかっていうことになるね」
「ふん……シーナはどう思う?」
 なんとなく、ずっと黙り込んでいる彼女が気になって声をかける。当のシーナは突然話を振られて驚いたのか、一瞬「え?」とでもいうような顔をしてマークの顔を見つめてからようやく自体を理解したかのように口を開いた。
「私は……よくわかりません」
「そう」
 口調はすまなそうであるが表情はすこしも崩れない。いつものことだ。仕事中のシーナは忠実にマークの言うことを聞き、その通りに動くものでしかなく、自分から何かをすることはほとんどなかった。
「で、こっちの話なんだけど」
 そんな二人の様子をしばらく見てからミンが口を開く。
「やっぱり目撃者がほとんどいないって言う話は本当みたいね。いろいろきいて回ってみたけどどれも取るに足らない噂話。半獣をみたって言ったのもそのときこの町の宿にとまってた旅行者らしいからどこまで信用できるか……」
「途中で話を聞いた親父に至っては『半獣なんてそもそもこの世にいないんだ』なんていってたしな」
 ふんっと鼻で笑ってザイルが言う。マークは笑ってよいのかわるいのかがわからなかったので、コップの水をのんで誤魔化した。
「ただ半獣犯人説以外に面白い話を聞いてね。なんでも最近この辺りに東の方からなかなか柄の悪い連中が旅行者に紛れて流れ込んでいるらしいのよ。犯人は半獣じゃなくてそういう連中なんじゃないか、っていうことを言っている人も少しだけどいたわ」
「……なんか、いよいよ半獣説が怪しくなってきたね」
「そうね。でも、まだ全否定も出来ない」
「ごもっとも」
 小さくうなずくとコップの中身を空にする。いくら可能性が低くなったとはいえ、未だに建物一つを悠々とつぶしてしまう半獣が居る、という可能性が全く無くなったわけではないのだ。相変わらず下手に気を抜くわけに行かないことに変わりは無かった。
「あ〜、夕飯って何時だっけ?」
 グッと伸びをして言うマーク。それに答えたのはミンでもシーナでも、ましてザイルでもなかった。
「そろそろ買出しが戻ってくるころです。あとご所望とあれば1時間ほどでご用意できますよ」
「あ、どうも」
 後ろから店主である老人に声をかけられてあわてて居住まいを正す。いまさらではあるがどうやらこの店がレストランとして機能するのは昼過ぎまでであるらしく、マークが戻ってきた時は既に老人はレジを離れ、エプロンをはずして店先のベンチに座って読書をしていた。
「そういえば今日の泊り客は私たちだけなんですか?」
 辺りを見渡しながらミンが尋ねる。マークたちが戻ってきてからもう一時間はたつが、五人と店主以外の人間を見かけることは無かった。
「いや、いろいろありまして。夜中に呼び出されることも無く眠るというのもいいもんです」
 軽い口ぶりで陽気そうに笑って見せるものの、本当にそう思っているとは到底思いがたい。しわだらけでところどころ汚れたズボンが彼の生活の一端を物語っているようだった。
 どういうわけかとマークが独り考え込んだそのとき。不意に店の外からやかましい怒鳴り声が聞こえてきた。なにやら柄の悪そうな男の声がいくつかと、時々それに負けじと噛み付く女の声。いくら日が沈んでいるとはいえ通りの人通りはまだ衰えきらず、騒ぎを逃れようと怒鳴り声の主をさけて通行人たちが通るので、通りのど真ん中にぽっかりと人のまばらな空間が出来ていた。
「ああ……気にしないでください」
 何事かとばかりに立ち上がったミンを見てあわてて老人が止める。
「あれくらいなら大事にはなりませんから……」
「大事には、ってそういう問題じゃ……」
 そういいながら店の入り口の方へ早足に進んでいくミン。だが、彼女が扉にたどり着くよりも先にすさまじい音と共に扉が開け放たれ、外から二人の少女が入ってきた。
 真っ先に入ってきたのは後ろから押されるようにして、半ばつんのめりながら敷居をまたいだ少女。その顔立ちは気弱そうで、どこかはかなげで、腰の辺りまで伸びた金髪が白い肌によく映えていた。そして、その後ろに続いて肩をいからせて入ってきたもう一人の少女は、先の少女とは対照的にすこし縮れた短く赤い髪を持ち、日焼け気味の肌が印象的だった。
「まったくあの馬鹿共が!いい加減にしろってのよ」
「こらミネルバ。そんなことを言うもんじゃない」
「何でよ。大体あいつら、ただベルに嫉妬してるだけじゃない。ベルがちょっとかわいいからって……」
 どうやらベルと呼ばれたもう一人の少女と老人が一緒になってなだめても、彼女の怒りは収まらないらしい。そばかすがちらほらと見受けられる、いかにも「田舎の娘」といった感じの顔はまだ膨れっ面で、すぐ目の前で唖然としているミンにすら気付かないようだった。
「あの、えっと……」
 二人の少女の忙しい会話に戸惑い、ついにミンが口を開く。そこでようやく彼女に気がついたのか、ミネルバと呼ばれた少女はしばらく目を瞬かせた後でミンの横から顔を出して老人に尋ねた。
「この人は?」
「今日のお客さんだよ。ちゃんと挨拶しておきなさい」
「ふええ……。お客さんとは随分またご無沙汰な……。あ、ここの従業員のミネルバです。よろしく」
「あ、ミンです。よろしく」
「同じく。ベルシャンディです。よろしく」
「よろしく」
「さて、買出しも戻ったところでそろそろ夕飯の用意にしますので。しばらくお待ちください」
 なるほどな。
 老人を先頭に、カウンターの奥へと消えていく三人の背中を見送りながらマークは考えた。
 つまり、ベルシャンディというあの少女がマースの言っていた、半獣と呼ばれていた従業員なのだろう。おおかた最近の事件と彼女を誰かが結びつけ、まことしやかに噂を流したせいで客足が衰えたといったところか。それならば外の通りの活気にもかかわらずこの店だけやけにくたびれているのも頷ける。
「マースが言ってたの、あの子のことよね?」
「間違いなくそうだね。あの状況からするに」
席に戻りながら尋ねるミンに、コップを片手に答える。
「二人とも17歳くらいかな。で、どう思う?」
「ベルシャンディって人が半獣かどうか?」
「そう」
「なんとも言えないよ。そりゃあちょっと綺麗だったかもしれないけど、それだけで決めたらそれこそそこらの『馬鹿共』と変わらないでしょ?」
「そうよね……。シーナとザイルは?」
「私もちょっと……」
「右に同じ」
 初めマークは少し意外だったのだが、いくら半獣であってもぱっとみて相手が半獣であるかがわかる、といった具合にある種の動物的な勘があるわけではないらしい。結局は変態の現場を押さえるかちゃんとした検査をする意外ではわからないのだ。
「まあ今のところ違和感はないけど、一応彼女のこともみんな頭においておいてね」
「了解」
 短く答えてコップの氷をからからとならし、ふと振り返ってカウンターの方に目をやる。なぜかマークの頭の中では、ベルシャンディよりもミネルバがつよく意識に焼きついて離れなかった。

 その日の夕食は宿の3人も一緒にとることになった。もともとはレストランもかねている手前、広い食堂に8人だけというのは寂しくもあったが、それでもなかなかにぎやかな食卓になった。
「でね?ベルったらあんまり驚いて腰抜かしちゃって。私、わって驚かしただけなのよ?」
「それはそれは」
「もう。止めっててば……」
 ミネルバが勢いのままに喋り続け、それを聞いてミンが笑い、横で困ったようにベルが唇を尖らせる。女3人の会話はどこまでもヒートアップしていき、もはやマークが口を挟む余地など無くなっていた。
「……お前はいつもこれに付き合ってるわけか」
 口の中のものを飲み込みながら横に座っているザイルに話しかける。彼は「とっくに慣れた」といった様子で黙々と口を動かしながら答えた。
「そういうこと。なかなか立派なもんだろ?」
「ああ……大したもんだと思うよ」
 素直にそう答えると小さくため息。知らず知らずのうちに随分食べていたようで、そろそろ腹の辺りが苦しくなってきていた。
「なあところでさ」
 その時。珍しくザイルがマークに話しかけてきた。どうやらザイルにはマークと仲良くなろうという気はあまり無いらしかった。こちらから話しかければ皮肉で返され、任務意外ではザイルの方からマークに話しかけてくることは―マークをからかう場合を除けば―まず無い。
「シーナの奴。さっきからぜんぜん喰ってないんじゃねーの?」
「え?」
 声を潜めたザイルの耳打ち。それ自体もマークにとってはなかなか驚嘆に値したのだが、それ以上にその内容にはっとして横を向く。確かに、シーナの目の前に置かれた皿はいまだサラダのソース一滴さえついておらず、ただただ机の上をじっと見つめたままでシーナは椅子に座っていた。
「おい……お前少しは食わないと……」
「はい……」
 あわてて声をかけてみても、返ってくる返事に力がない。よくよく覗き込んでみると顔色もいいとは言えないようだ。あわててマークは食器を置くと、シーナの肩を掴んで振り向かせた。
「おい!大丈夫か?」
「……」
 返事が無い。力なく口を開いたシーナはそのままゆっくりと瞼を閉じるとぐったりとマークの腕の中でうなだれた。
「おい?おい!」
「どうしました?」
 異変に気付いて、それまでずっと老人との会話に花を咲かせていたマースがそばに寄ってくる。さすがに女組の会話も一旦打ち切られたようで、ザイルの後ろにはミンが立って、シーナの様子を覗き込んでいた。
「わからない。どうも飯をまったく食ってないみたいなんだけど……」
「どうして?」
「それがわからないから聞いてたんだけど……」
 ミンに答えながら、軽くシーナの頬を叩いてみても、彼女が目を開く様子は無い。ただ時々眉根にしわを寄せ、体を丸めながら肩を震わせているのだった。
「とりあえずここにいさせるのはまずいですよね。寝かしてあげたほうが……」
「そうね……。マーク君、先にあなた達は部屋に上がってて。私も後から行くから」
 心配そうに言うベルにミンも相槌を打つ。彼女の口調からは、「もうお腹一杯なんでしょ?」といったような響きが聞いて取れた。
「はい……、わかりました」
 苦しそうに喘ぐシーナの顔を見つめながらマークは静かに、彼女の体を抱き上げる。持ち上げたその体は思っていたよりも随分軽く、拍子抜けしてしまった。
「それじゃあ……」
 ほかの面々に軽く会釈すると、マークは階段を上っていった。