〜7〜

「……今日はまだチェロさんこないね」
 朝食時。いつものように半獣とそのリーダー達だけで一つのテーブルを囲む中に、これまたいつものように一つだけあいた席があった。マークの声と共にその視線がその空席に注がれると、横に座るミンレイは何も言わずに席を立って、丁度一人前のサラダを取りに行き、それを見送りながらテレスは呆れたようにため息をついた。
「ま、まあチェロさんは昨日任務から帰ってきて今日は休暇だし……」
「でもアスティさんは任務帰りの日でも誰より一番早起きだよな」
 フォローしようと口を開いたミンも、テレスのその一言には何もいえずに口をつぐんだ。空いた席の真正面に座っていたマークもまったくもってそのとおりだと思った。もっともチェロと、正反対の性格を持つアスティを比べること自体に無理があるような気がしたが。
 アスティ・シャルテイン。リーダー達の中ではもっとも最高齢、30代後半と見える彼女にマークがはじめて会えたのはネスターバを出て図書館に来た一週間後のことだった。外回り専門のリーダーらしく、本部にいることのほうが珍しいのだ。仕事に関しては非常に生真面目で黙々と仕事をこなす彼女と、自ら『究極の気分屋』を名乗るチェロとを比べればどうしたってチェロの方が見劣りするのは道理というものに思えた。
「でもホント。アスティさんってどうやったらあそこまで早起きできるんすか?」
 ふと、席一つはさんで横にいるアスティの方に首を向けてテレスが尋ねる。アスティの半獣の一匹であり、最年長の半獣でもあるフランはだいぶ前に食事を済ませてとっくに部屋に帰っていた。彼は本部にいても大抵部屋にこもっているので、アスティ以上に見かけられなかった。
「さあ……、何でかしらね?」
尋ねられたアスティはテレスの方を振り向きもせず、カップの中のスープを口に運びながら続ける。
「ただ私の場合、早く起きないとイザベラがうるさいからね」
 アスティがそういうや否や、横に座っていた少女がキッとして振り返った。
「うるさくなんかない」
「はいはい、ごめんなさいね」
「本当。失礼しちゃう」
 彼女がイザベラ。アスティの2匹の半獣の片割れで、マークとは同い年だという。そして何より半獣たちの中で誰よりわがままでもある。マークの見る限り、自分のリーダーへの態度の悪さはザイル以上に思えることさえあった。
「そうか、アスティさんってイザベラと同じ部屋なんすよね、そういえば」
 思い出したようにそういって、テレスが手にしていたコップをテーブルに置く。そこではじめてアスティは横を向くと、僅かにぬれた短い黒髪をかきあげ、からかうような笑みを浮かべた。
「そうよ。何なら今夜辺り貸してあげましょうか?」
「え……」
「嫌よ。テレスの部屋って男臭いんだもの」
 言葉に詰まったテレスが再び口を開くよりも先に、イザベラがビシッといってコップの水をグイと飲む。テレスの左にいたジャイルがふっと鼻で笑った。
「男臭いってなあ……!あれでも相当気をつけてるんだぞ!」
「知らないわよそんなこと。私は嫌なの」
 浮き腰になって言うテレスから顔を背け、つんとしてそういうと、何事かアスティにささやいた後で席を立ってイザベラはさっさと食堂を出て行った。
「全く、アイツは……人のことバカにしやがって」
扉を開けて出て行くイザベラの背中を見送りながらひっそりとテレスが不平を漏らす。向かいに座るミンとマークがどう答えればいいのかわからず黙っていると、丁度食事を終えたジャイルが立ち上がり、口を開いた。
「テレスがその程度だと見られてるんだろ」
「あ、ジャイルまでそんなこと言うのかよ」
 あわてて振り返るテレスに肩をすくめて誤魔化すと、ジャイルもさっさと席を立つ。一人惨めに取り残されたテレスを、ミルが「かける言葉もない」といった目で見ていた。
「ところでマーク君。今日の任務のこと、覚えてるわよね?」
 突然、横から確かめてくるミン。マークは急いで口の中のサラダを飲み込むと、口の周りをふきながら答えた。
「……覚えてる。たしかシャグでの半獣出現情報の確認だっだよね」
「そのことなんだけどね。マースが途中から同行することになったから」
「え?」
 そういってマークがメディスの方に顔を向けると、丁度彼は食後のコーヒーを飲んでいるところだった。基本的にメディスは食事中にはなかなか口をきいてくれない。仕方ないのでその視線をマースの方に流すと、空になったプレートを片付けながら彼は答えた。
「今日僕達は大きな任務の予定はないので。もしか何かあってもチェロさんとミンレイのペアもいるから、僕は今回の任務をお手伝いさせていただくことになりました。よろしくお願いします」
「あ、うん。よろしく」
 マークが差し出された手を握り返すと、マースはにっこり笑ってその手を離した。どうにも人当たりはいいし、ほかの半獣の面倒もよく見ているのは確かなのだが、マークは時々どう接すればいいのかが分からなくなる事があった。
「で、ザイルとシーナの準備はそろそろ済んでるころだと思うから、あと30分もしたら出発しようと思うんだけど」
「オッケイ、わかった。俺ももう食べ終わるし、大丈夫だよ」
遠慮気味に確かめてくるミンにそう答えると、マークは最後のパンを手に取る。ミンは「じゃあ後で」とだけ告げると先に席を立ち、食器を片付けて食堂を出て行った。
………
…………
……
 マークがテレスに連れられ、この組織に入ってから早くも二週間が経とうとしている。
通例として新人のリーダーは二週間、あるいは三回目の任務までは他のリーダーの手伝いという形で実習をすることになっているらしく、丁度今回が三回目の任務となるマークにとっては恐らくこれが最後の実習であった。一度目は強盗事件発生による緊急出動。二度目は平職員の調査隊が発見した半獣の個体移送の監視役だった。幸いこの半獣の手にかかって命を落としたものはいなかったが、同時にリーダーの決定も行われなかったので、彼は研究等の一室で養われているという。

「シーナ、入るぞ」
その必要がないのはわかっていたが、一応ちゃんとノックはして扉を開ける。案の定、ベッドの端には既に準備を完璧に整えたシーナが座っており、マークが扉を開けるのとほぼ同時に立ち上がって彼の前に立った。
「いつでも出発できます」
「オッケイ……じゃあ行こうか」
 相変わらず固い口調。大体一ヶ月といわれていたので無理はないが、未だにシーナはシーナではなかった。もちろんマークは早く彼女がもとどおりになることを望んでいたが、しかしどういうわけか日が経つごとに今のシーナにも愛着がわいてくるようで、最初ほどの違和感は感じなくなっていた。
「しかし本当に大丈夫なのか?朝飯抜きなんかで」
 任務用の玄関の方へと廊下を歩きながらマークが心配そうに尋ねると、シーナは半分困ったような顔で天井を見上げながら答えた。
「わかりませんけど……、少なくともザイルは私より任務について経験豊富ですから」
「まあそれもそうか」
 確かに、否定の仕様もない。マークは首をすくめてそういうとロビーを抜けて玄関前へ続く廊下に出た。
 今朝、シーナは朝食を摂っていなかった。なんでもザイルが「前々から決まってる任務の日の朝は何も食べないほうが良い」と言ったらしい。どうやら彼はそのほうが調子がいいそうなのだ。別段ザイルがそれで良いなら彼はかまわないかもしれないが、マークは万が一シーナにそれが当てはまらなかったらと考えると一抹の不安を拭いきれずにいた。
「よう、遅いじゃん」
 最後の角を曲がるなり、こちらを見下したような生意気な言葉が投げかけられる。今更驚くまでもないし大して感にも障らなかったが、一応こっちを横目で見ているザイルに「悪かったな」とだけ言ってミンの横に並んだ。
「俺はいつでも出れるけど?」
「よし。それじゃあ今回の任務内容、もう一度確認しておくわね」
「……」
「場所、シャグ11地区。任務内容、半獣によるものとの疑いのある破壊行為の事実確認および場合によっては半獣の確保。開放許可レベルは1、目標半獣の力量に応じてレベル2までの自己判断によるレベル上昇を許可する」
「シャグ11、事実確認および確保、1場合によって2まで」
早口でマークが復唱すると、ミンが「よろしい」とばかりに一つうなずいて玄関の戸をあけた。
半獣とリーダーに課せられる任務には、必ず「開放許可レベル」というものが設定される。開放許可レベル、半獣としての力をどこまで開放することを許すかという目安とでも言えば良いだろうか。0が一切不許可、1が全体組織の12分の1までの同時開放を許し、一般目撃者の発生は厳禁。2、3については開放の度合いにはどちらも制限がないが、2の場合は1同様、一般の目撃者は絶対に出してはならないことになっている。単純にもみ消し工作と言ってしまえばそれまでだが、一度たった噂を完全にかき消すのは容易なことではない。目撃者など、最初からいないに越したことはないのだ。
「大丈夫?」
「はい、いつでも」
 遠方任務用の車に乗り込み、助手席のドアを思い切り閉めて答える。普通ならば任務には一組のリーダー、半獣と1人あるいは2人の平職員がつくので運転も平職員がすることになるが、今回のような場合はリーダーがハンドルを握る。今回は当然ミンがその役についた。
「さあ、それじゃあ行きましょうか」
 そういってミンがアクセルを踏み込むと、車はスムーズに走り出し、車専用の通りに繰り出した。

 シャグ。旧パーン領内の北部に位置する高原都市であり、かつて世界に響き渡った宿場町の名は今でも健在で、町の北に位置する山々への登山客で一年を通して賑わい、石とレンガで出来た町の主要な通りには宿屋や食事処が名を連ねていた。
「へえ、ちゃんと勉強してるじゃない」
「まあ……あれが机の上に並んでるとなんだかんだいって読んじゃうんだよね、不思議と」
「いいことじゃない。その意気その意気」
 出発して1時間。マークとミン。それにシーナとザイルを乗せた車はハイウェイを静かに進んでいた。コンクリートで固められた路面はどこまでも滑らかで、ともすれば地面から浮いているかのような錯覚すら覚える。行きかう車はどれもすさまじい速さで駆け抜けて行き、対向車線の車など運転手の顔でさえろくに見ることなどかなわなかった。
「この調子だとあと1時間ちょっとってところかな。マーク君、車酔いとか大丈夫だよね?」
「ああ、大丈夫。シーナは?」
「大丈夫です」
すぐ後ろに座っているシーナに尋ねると、はきはきとした声で返事が返ってくる。バックミラー越しに後ろの様子を見やると、むすっとした顔で頬杖を突き、窓の外に目を向けているザイルの横で、シーナは背筋を伸ばし、浅くシートに腰掛けていた。
確かにここのところ今のシーナにも少しずつ愛着がわいてきたマークではあったが、いかんせん彼女の極端なまでの生真面目さには頭が痛い。何より見ているだけで時々マークの方が疲れてしまうのだった。もっともマークが何か言ったところでそれが変わらないのは既に実証済みであったが。
「どうかした?」
「いや、何でも」
 ふうとため息をつくと、どこか心配そうに尋ねてくるミンに短く答える。
「なんかすることも無いし、すこし寝ててもいいかな?」
「いいけど……寝てないの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。このまま何もしないでおきてるのも気付かれしちゃいそうで」
「ふうん。まあどうぞ。着く少し前に起こしてあげる」
 ハンドルをきりながら答えるミンに「ありがとう」とだけ言うとマークは目を閉じた。