其之五拾九

同日 午後0時12分

「失礼しま〜す」
「おお春日か。芹山先生が待ってるぞ」
午前中、睡魔と闘い続けた身体を引きずって教員室の戸を開けると、入り口そばの机から暢気な声がかかる。この一年間、ことあるごとに芹山の下に呼び出されたせいで、いまや徹は一度も講義を受けたことのない教員にまで顔を知られていた。
(いつものとこ、か)
声には出さずにつぶやいて、部屋の隅のほうへ足を向ける。
『相談室』
教員用の喫煙室、印刷室に挟まれたところに位置する小さな部屋。こう書いておけば聞こえはいいかもしれないが、本来は成績の芳しくないものが呼び出される部屋だ。後から作ったわりにしっかりと区分けされていて、盗み聞きの心配がないといって芹山はよくここを使いたがったが……。正直徹にはあまり嬉しくないことだった。
ガチャ…
「おっ、来たか」
すっ、と扉を開けると、待ちわびたような芹山の声が耳に飛び込んできた。
「相変わらずこの部屋なのな」
「ほかにいい場所もないだろうが」
徹のうっすらと覗かせた不満を軽く流すと、新しく出したカップにコーヒーを注ぐ。
「ブラックでよかったよな?」
「ああ」
差し出されたカップを受け取ると、しわのよっていないほうのソファーに腰掛けた。
「じゃあま、余すところなく話してもらいましょうか?」
「はいはい」
徹の向かい側、もう一つのソファーに腰掛けて身を乗り出す芹山を前に、徹は事の始終を話し始めた。
……
…………
………
昼休み。学校中がわっと騒がしくなるこの時間は、事務所の中でもささやかな休憩の時間となっていた。
「それにしても…いい加減梅雨も明けてくれるといいけどねえ」
「そうやって期待してるうちはまだまだ無理だろうね」
アイスティーを注いだガラスのコップを片手に、物憂げに窓の外に目をやる栗原の声に、少しはなれた机から40代後半といった感じの男が応える。
「三田さんはまたそういうことを……」
「そういうもんなんだって」
机の上に伸びる栗原に笑って応えながら、ふっともう一人の事務所の住人に声をかけた。
「凛ちゃんは?休憩にしないの?」
昼休みになってもパソコンのキーボードを叩き続けている少女に紅茶を勧めながら近づく。
「あ、いえ。いまやってるのは個人的なことなんで気にしないでください」
凛もさっと振り返ると、紅茶のコップを受け取って小さく頭を下げた。
「まあ私たちの仕事なんて、厳密に業務中と休憩中なんて分けられないからねえ……」
「ま、それもそうか」
はははっと笑う二人に合わせて、凛も控えめに笑ってみせる。
「で?個人的とは?」
「あ……」
凛が止めるのも間に合わず、三田が凛のパソコンの画面を覗き込む。
「ああ……これね。『上丘学園掲示板群』」
「はい…。面白いからって教えてもらったんで」
『上丘学園掲示板群』とは、日本最大の掲示板サイトの中にある、上丘生専用の掲示板ブロックのことだ。文運実内部のコアな話が流れたりもして、上丘生の8割はここを一度は見たことがあるのではないだろうか。
「まあ確かに面白いよな。生徒が先生達のことをすき放題言ってたりするのみると……」
「って、三田さん。なに堂々と女の子のプライベート覗き見してるんですか…」
「はいはい」
栗原の非難の声にさっさとその場を立ち去る三田が、とっさに凛が片手で隠した画面の下端、書き込み欄の内容まで見ることはなかった。

『中一、公式テニス部の鷹峰は 』