温暖化にヒートアイランド。気温の上昇が日々熱心に、どこか空しく叫ばれる中での大都会であったとしても、師走の夜ともなればそれなりに寒い。だから彼方此方の建物の中では空調がせっせと働き、世界の電力消費量は今日も上がっていく。
都内にあって、決して貧相なわけではないが、せいぜい周囲の住宅街との間に違和感を生じさせない程度のある四階建のビルもまた、その電力消費の一端を担っていた。とはいうものの、このビルの中の空調は必要最低限で、むしろその主が暑がりな気質であったため、一般には肌寒いと形容しても差し支えないような環境であったのだが。
「で」
 あるべき空調設備の分まで電力を消費して、せっせと点滅して自己主張を強める赤や緑の発光ダイオードの灯りに満ちた部屋に、批判めいた男の声が聞こえた。
「一時間前の侵入は、一体どういうわけで? 芹山さん」
「博士、ド・ク・ト・ルだよ、お若いの。そして突然押しかけてきた割りに、年長者に対してその言いようは失礼じゃないかね?」
「うるせえ。中身は俺と対して変わらないくせに」
 見た目二十歳前後のジーンズに革ジャン姿の青年に毒づかれて、白髪に白髭の、腹回りを思い切って厚くしても赤い服と三角帽は似合いそうにない鷲鼻の老人が上機嫌に笑う。白衣の袖から出た手の甲も、襟元に見える首筋も、いかにも老人然とした皺がよっていて、腰の後ろで手を組みつつ青年の前を右へ左へ歩き回っているのが、年齢の割りに丈夫な体、といった雰囲気を見せていた。
「いやいや、重要なのは中身がどうであるかではなくどう見えるか。内実が問題にされるのは実態を合理的に説明して受け入れがたい外面に迎合する必要が生じるときのみだよ。科学全般を話題に含んだとしても例外ではない。そして、老齢は思考生物である人間の知識と経験を貯蓄した最終到達地点だよ。ならばそのように見えることを望むのは極自然なことだろう?」
「じゃああんたは良い歳して自分の願望のために体をまるまる作り変えた馬鹿な生粋のコスプレ野郎ってことで納得するぞ」
「……ふむ。まあ、この程度にしておこうか」
 つぶやいて、老人が足を止める。肩透かしを食らった徹を他所に、振り返りもせず、組んだ両手の親指を目の前で回しながら尋ねる。
「で、なんだったかな?」
「……つい一時間前、本日正午の異界侵入に対する説明だ」
 今この瞬間、世界にはこの世界とそれに従属する数多の異世界という二種類が存在している。物理学上の仮説や理論ではなく、確認済みの事実としてであるが、そのような仮説が仮説として存在していることからもわかるように、公にはなっていない。それに、恐らくはそのような論争に加わっている学者達が考えているような大仰な話でもない。
 本来その事実を認識しているのは、自分と目の前の老人然とした男を含めて六人だけであったと、問い詰める青年、春日徹は思う。だから、その六人以外の誰かが異世界に侵入したという事実は、本来起こり得ない。しかし、何者かがそれを実行したという報告は彼の元にもコンピュータからの自動送信メールによって入っていたし、目の前で点滅する赤や緑のランプの羅列も、その事実を主張していた。
「一体何があった? 俺もあんたも、このことを知ってるはずの人間はだれもこの数時間、向こうには行っちゃいない。じゃあ誰の仕業だ? しかも、本来侵入直後に送信される連絡のメールを、あんたわざと遅らせただろ? なんのつもり……」
「ああ、ああ、すこし落ち着きたまえ。喚かなくても言いたいことはわかる」
 パン、と手を叩きながら徹の言葉に割り込んで、鼻で軽く息をつく徹を他所に芹山は続ける。
「……あれは、うちの助手だ」
「は? 聞いてない……っていうかそもそも他人に漏らすなと……」
「考えながら喋るのは結構だがせめてもう少しまとめてから発言することだ」
 言い終わらぬ徹の眉間に今度は指を突きつけて、
「ちょうど四年前だ。ここに引っ越してくるときにいろいろあってね、なんの手違いだかしらないが、何か知っているらしい奴が居たから拾ってみた。もちろん! 君の耳に入れなかったからといってなんの手立ても打たなかったわけではない。仕事を手伝わせてやるかわりに口外しない事を誓わせた」
「どうやって」
嘘八百で脅しをかけた」
「極悪人」
「お茶目な悪戯といってくれ」
 言いつつ目を細めて髭を撫で付ける。
「聞けば、どうやら、具体的にどこだかは知らないが、向こうに行った事があり、何を望んでかしらないが、もう一度行きたいらしい。もちろん許さなかったがね。しかし今日は迂闊だった。突如として実験のアイデアが浮かんだのをいいことに朝食を抜いたのがまずかったのだな、いつもより多少早く腹がすいて、これはまずい、耐えかねるというので慌てて買出しに出かけた拍子に、ついうっかり、ゲートの鍵を閉じるのを忘れてしまった」
 言って、指差す先、ちょうど海の向こうの銀行員が青い服と赤いマントに着替えるのに使うような、金属製の電話ボックスに似たそれに二人の男の視線が向かい、
「ついうっかり、偉く迷惑な出来心で、ゲートの鍵を開けてしまったの間違いだろうが」
「うむ、ばれたか」
「……」
 冷たさを増す徹の視線などものともせず、博士こと芹山は再び部屋の中を歩き始める。
「何度も言うようだが、そう怖い顔をするな。誰のおかげで奴の行く先が特定できて、何のためにそれをしたと思っているんだ」
「……はじめから行き先を固定しておいたと?」
「然り。見たまえ、君はきっと泣いて喜ぶ。そして私にこういうのだ、このたびのご無礼はこのナポレオン五十本でご容赦くださいと!」
「ああ、お前の金で買いこんできたブツの空き瓶五十本で殴り殺してくれと?」
「……本当にやったら呪うぞ」