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  †
「つくづく悪趣味だな、あんた」
 いい加減慣れてきたとはいえどこか肌寒いのは相変わらずの、大小さまざまな電子機器が並ぶ部屋のなか、その一辺にあたる、例外的に何もおかれていない壁に掛けられたモニターを前にして、腕組みをして嬉しそうにそれを見つめる芹山を横目に徹が声を漏らした。
「言ってくれるな若造。研究対象を観察することの何が悪い」
 対する芹山がにやけ顔はそのままに、振り返りもせず答える。
「こっちは君ほど立派な視線を連中にそそいじゃいないんだ。もっとも、言ったところでどうしようもないことだろうがね」
 数多の異世界がこの世界に従属するという性質上、技巧次第ではその監視、つまるところ世界の枠を飛び越えた覗きも可能になる。芹山が今やっていることはまさにそれだ。別の世界の中に仮想的に構築された視点を基準に映し出されるモニターの画面には、今は一人、和風建築の家屋の縁側から立ち上がって、廊下を立ち去ろうとする少年の姿が映されている。
「しかし酷い見世物だったな。何を口をパクパクやってるんだ、あの餓鬼は。あれが鯉ならもう少し様になるであろう物を……」
 悪態をつきつつ傍にあったキーボードを芹山が操作すると、モニターは暗転、応じて光量を落としてあった部屋の照明がその明るさを増す。一連の動作が正常に機能したことを確認して、芹山は傍にあったキャスター付きの椅子を徹のほうへ滑らせ、自らも同型のものに、杖に体重を預けながら腰を落とす。
「さて、君ならあれがどこであるかはわかるだろうな?」
「『暁の村』だろ。落ち着いてはいるが狭くて単調で、頻繁に訪れたいとは思えない」
「まあ、そのとおり。ついでに、君の酷評の割にはあの小僧がもう一度行きたいと望んだ世界でもある。具体的に以前何があったのかは聞きそびれてしまったようだがね」
「彼があんたに言ったとおりなら、前回の訪問は俺達がこういうことをやりだす前の話だ。追究の仕様もない。それよりも」
 ぐるり、とその場で片足を軸に後ろを向き、視線の先にあった椅子に腰を下ろしてから、再び芹山を見据える。
「あの世界に何か問題でもあるのか? 少なくとも現状では、俺があんたに感謝の言葉を投げかけるべき何かは見当たらなかったけどな」
「せっかちな男は嫌われるぞ、なにかにつけ。まあ、いい。ほれ、これ見ろ」
 言って、芹山の関節の皺が目立つ人差し指が、キーボードを叩く。壁のモニターには、緑色の折れ線グラフが描かれていた。
「ここしばらくのあの『村』に関する出入りの履歴だ。妙だと思わないか?」
「ここのところの出入りが激しすぎる、な」
「然り。『暁の村』は幾多の俗界の中でも最初に「発見」された世界であり、そこに由来する世界の小規模性と、こちら側と直接行き来が可能であることを最大の特徴とする。そうだったな?」
「ああ。だから防備も厳重で、本来こんなに激しく他の世界との行き来が行われることはありえない」
 答える徹の右手が自然と口元を覆う。その手で髭がやや伸びた顎をゆっくりと撫でつつ黙り込む徹を面白そうに眺めながら、芹山は腕組みをして続けた。
「これについてある程度調査をして連絡を入れたほうが良いのではないかと思ったものでね? 内部調査が出来ればと思って奴も送り込んでみたんだ。もちろん、こちらにとってはこの情報は何の意味も持たない。が、君にとっては注目に値する事実なのではないかと、思うのだがね?」
 芹山の口元が吊り上がって、ほくそ笑む。それを憎らしそうに一瞥して、徹は立ち上がる。
「任せますよ。しばらく調べてみてください、……博士」
「よろしい。報酬は近々君の奢りで……」
「先週貸した酒代チャラということで、よろしく」
「……」
  †
「ただいま〜」
 徹の家、正確には徹が二階の部屋を間借りしている、その姉夫婦の家は、芹山が居を構えるビルから、歩いても十五分とかからないところにある。冷え込んだ空気に耳や鼻を赤くしながらその玄関を潜った徹の耳に、やたらとハイな歓声が聞こえた。
「あ、こら! そこ私が置こうとしてたとこ!」
「知るわけないでしょ、早い者勝ち!」
「……なにやってるの、あんたら」
 玄関から真っ直ぐ廊下を進んだ先にあるリビングルーム。テレビの前に広がった空間でツイスターに興じる、焦げ茶色のショートカットととにかく長くウェーブのかかった金髪が目立つ、二人の女がいた。
「次、左手青」
「優さんも土曜の夜に何やってんですか」
「いやあ、なんとなく。何でも負けたほうが明日の台所当番らしいよ」
 食卓で湯のみの茶をすすりながらルーレットを回している義理の兄に「そうですか」などと返事をしつつ、その向かいの椅子に腰を下ろす。直後、左の方から二人分の悲鳴が聞こえた。
「ああ、もう! 体が大きいのずるい!」
「あんたがちびっ子なのが悪いのよ。だいたいそんな長いスカートでどうにかなるわけ無いじゃない」
「だってこういうのしかないんだもん」
「自分のレパートリーの少なさか、さっさとお風呂すませてパジャマに着替えてなかったことを恨みなさい。明日よろしく〜」
 言い合いつつ、捲り上げていたセーターの袖を下ろしてやってくるのは、巴と凛。徹にとっては5つ違いの姉と、恋人らしきものに当たる。
「あんたらも良い歳してなにやってんの。……って、顔赤!」
「五月蝿いわよ〜。元はといえばあんたが突然出かけたせいで弄る相手がいなくなったのがいけないんでしょうが」
「俺は二人の玩具じゃねえ!」
「ほう、言うじゃないの。そんなこというのはどの口だ?」
「あ、こらやめろ! 頬を引っぱるな! 絡み酒禁止! 凛、お前は飲んでないだろ! 助けろ!」
 逃げる徹に追う巴。救援要請に応じるどころか徹の腰にしがみついて離さない凛と、テーブルに肘をついて湯飲みをすする優。まあ、おおむねいつもの光景。そしていつもどおり、そう決めていたかのように、巴は水を飲みに台所へ、優は四人分の茶を入れなおしにそれに続き、凛も徹からはなれて事態は収拾するのだ。
「で、なんだって?」
 声を潜めて、凛が徹を見上げながら尋ねる。日本人離れした金髪に色白の容貌、中学生か良くてせいぜい高校一年生といった背丈の凛は、この四人の中ではとにかく小柄で、二十の日本人男性としては標準よりやや背の高い徹の肩辺りにちょうど頭の天辺があった。
「とりあえず、部屋でな」
 そう、凛に囁き返して、先に凛を廊下に出す。悪酔いして見えるときの半分ほどは演戯であり基本的にアルコールにはつよい巴が運ぶ盆の上から湯飲みを二つ受け取って、徹もその後に続く。らせん状にうねった階段を上り、二階にでれば、目の前にその部屋はある。
「相変わらず汚いな〜」
「まあ、仕方ないでしょ」
 並んで部屋の入り口に立ち、コード類が伸びきった床やら、無造作に並べられた3台のパソコン用モニターやら、部屋の一角を堂々と陣取るコンピューターやらを眺めてため息をつく。芹山のところと比べれば置いてある機材の数は少ないが、なまじ元がただの一軒家の一室であるため、そう整然とまとまりがつくものでもなかった。
「で、結局何があったのかって話だが」
 その部屋の隅の方にあったサイドテーブルを動かしてきて湯飲みを置き、椅子をその傍に持ってきて凛に腰掛けさせる。徹自身はそのまま三台のモニターの前まで行って事務用の椅子に腰を下ろし、周辺の機材をいくつか立ち上げながら続ける。
「あの人が勝手に出入りさせてた高校生が向こう側に潜り込んじまったって事らしい。……いや、むしろあの人のほうから誘導したのか。また観察実験かなにかのつもりらしいけどな」
「大丈夫なの?」
「まあ、いくらか権限をこっちに戻しといたほうがいいだろうよ。今やってるけど……はい、上がり」
 言って、徹がエンターキーをはじく音と、背後で凛が湯飲みをすする音が重なる。椅子の回転軸にしたがって振り返った徹の手も、まだ手付かずのほうの湯飲みに伸びる。
「なんでもその助手っていうのが四年前の夏にも一度侵入してるそうなんだけど……?」
「ううん。私もしらない」
 目線で尋ねる徹に、凛がウェーブの掛かった髪を揺らしながら首を振る。
「大体、私はいくつかの実験は手伝ったけど、他所の世界のことにまでは関わってないもん」
「なるほど。……しかしまあ、そっちも対して問題じゃないだろ。侵入した助手のほうもあの人が監視してる。なんか調べたい事があるとかでこのまま様子を見ることになったけど、明日の朝には解決するだろ」
 そこまで言って、まだやや熱めの茶を一気に飲み干す。熱が過ぎ去った喉を冷ますように一度深呼吸をして、湯飲みを戻そうと手を伸ばしたところで、二人の視線がぶつかった。
「それだけ?」
 そろえた膝の上に肘をつき、拳の上に顎をのせ、日本人離れした顔、マリンブルーの瞳がじっと見据えてくる。その視線に、湯飲みを置いた手を振りながら「それだけだ」と答えて、徹は立ち上がる。
「そりゃもちろん、あの人のやり方がちょっと気に食わないのはいつものことだけど、こっちもいろいろ好きにやるのに頼ってる相手だ。文句ばっか言って愛想突かされても困るしな。……ほれ、もういい時間だ、風呂入ってこいよ」
「はーいはい」
 どこか面倒くさそうに返事をした凛が、右手の親指と人差し指で二つの湯飲みの淵を合わせてつまむように持ち上げ、立ち上がる。その場でくるりと、金髪をスカートのようになびかせながらターンして、徹を見上げる。
「……ん?」
 ちょいちょい、と左の人差し指を手招きでもするかのように曲げる凛に気付いて、徹の頭が下がる。と、不意に凛が背伸びをして、
「っ……」
 甘噛みされた鼻の頭を押さえて徹が一歩後ろに下がる。
「なんだいきなり」
「まあ、頑張ってねって言うことで。お風呂は先に入っておいて。私は巴さんの洗い物手伝いながら明日の献立考えないと」
 えへへ、と笑って、背中で手を組んでそう言うと、凛はさっさと部屋を出て行ってしまう。一人ぽつねんと取り残された徹はしばらくその場に立ち尽くして、頭をかきながら部屋を出た。
  †
 そもそも仮想世界である俗界を「発見」したのは徹でも芹山でもなかった。
 篠沢智。父親は地方の大学で教授職を務める傍ら、コンピュータ関連のエンジニアとしてもそこそこ名が通っており、智はその一人息子、成績も優秀で人付き合いもそれなりであったが、その割りに私生活のこととなると他人には点で見当がつかなかったらしい。
 同い年である徹と智の共通項が最初に芽生えたのは、徹が凛と出会った時であった。たまたま、外出中の徹と凛が出会い、家出してきた、帰る場所が無いという凛を、徹と巴の母親の公認の下、春日家に置くことになった。
 ところが、この凛がただの家出中の少女ではなかった。仮想世界の存在を知った智は、そちらに居を移すことを考える一方で、手始めに隠れ家として小さな世界を作り上げ、そこに少女を一人、すなわち凛を、創り、囲っていた。ちょうど智が移住の手はずを整え、生まれ育った世界での最後の後始末をしようとした折、智の開いた道を通って凛がこちら側に逃げ出したのだ。元来大きな失敗を知らず、自尊心も強い智にとって、それは許しがたい出来事で、急いで他の自分が創った人間を使って凛を探し、その周囲の状況を調べ上げた。
 そして、狩人が得物の尻尾を掴み、徹を引き合いに脅された凛は諦めてそれに従った。ほとんど一目ぼれに近い形で凛に思いを寄せていた徹は当然それを阻もうとし、そこで、智の隠れ家において初めて二人は面と向かって会った。この時点でしかし、智の凛に対する執着は自分の意にそぐわなかったことの制裁だけに因っており、事もあろうに、智は捕らえた凛をそれまで自分が使っていた俗界に置き去りに、自身は他の俗界へ行き、凛を残した世界はそのまま消去しようとしていた。幸い、智が気の済むまで嗜虐の限りを尽くした後に、徹と凛で世界の消去だけは食い止め、後には異世界への出入りに必要な設備一式がそろった元は智、今は徹名義の一軒家だけが残された。
 徹が芹山のように異世界を、この世に完全に従属している存在として見られないのも、ここに原因があった。徹にとって、凛が要素として含まれる異世界の住人という集合は、自分が凛と対等であるために、自分や、両親や、友人や、その他この世界の人間と同等に扱われなければならないのだ。だから、こちら側の誰かが悪意を持って挑めば簡単に崩壊しかねない異世界、およびその出入りを管理しつつも、監視の類は行わず、必要があるならば自ら向こう側を訪れて情報を集めようとする、芹山の言うところの「中途半端な善人気取り」をすることになっていた。
 もちろん徹自身もそう言われる所以は自覚しているし、時には矛盾を覚えないでもない。しかし、それでも異世界の管理をやめようとは思わなかった。
「……」
 暗い部屋の中、厚い布団に包まったままで天井を見上げ、すぐ横から聞こえる凛の寝息に耳を澄ませる。
 うまく隠してはいるが、徹は彼女の体のところどころにうっすらと傷痕を示す痣があるのを知っていた。無論、それをつけたのが智であることも。初めてであり最後でもある智との対面の日、徹はその意志に関わらず、智がなしてきたことを逐一、詳細に聞かされて知っていた。その時の凛の様子も、また智を見たときのその怯えようも、目の当たりにして記憶していた。だから何より、徹は好き放題やるだけの事をやってどこかへ姿をくらました智の事が許せなかった。少なくとももう一度智を見つけ出して二、三度殴ってやるまでは、たとえそれが智の望んだことであったとしても、異世界の管理も続けると、決めていた。
「さて、そろそろか」
 時刻は明け方、まだ暗い中、静かにつぶやいて徹の上半身が起き上がる。
 本来目立たない『暁の村』に異世界の人間の注意を惹きつけることができるとして、それをしたのが徹や芹山のようなこちら側の人間でないならば、そんな事ができるのはあと一人、智に、徹たちの知る範囲では限られる。何を意図してのことかは知らないが、芹山の話を聞いたその時から、徹は自分が智の尻尾を掴もうとしていることを確信していた。
 ベッド脇に置かれたコンタクトのケースを手に足をずらして、スリッパを履く。立ち上がろうと、布団の上についた腕に力をいれて、
「待って」
 手首をつかまれた。
「起きてたのかよ」
「まさか、寝てたよ、今まで」
 言いながら凛も布団の中で起き上がる。着ているチェック柄のパジャマは徹のものと色違いのはずなのだが、暗闇、しかも普段コンタクト着用の徹にはぼんやりとしか視認のしようがない。
「やっぱり、なんか隠してるでしょ?」
「や、別になんもないよ? ただ久方ぶりに怖い夢を見てさ」
「……」
「部屋で寝てたら突然扉が開くんだよ。起き上がったら真っ青なゾンビ化した凛が両手前に突き出してふらふらと……」
「……」
「……や、申し訳ない」
 じーっと、何も言わずにただ見つめ返してくる凛の視線に観念する。対する凛がよろしい、とばかりに頷いて髪が揺れるのを見て、徹もため息混じりに、浮きかけた腰を下ろす。
「また、アイツのこと?」
「……ああ」
「……なに? わかるに決まってるじゃん。徹が、こういう話で私に隠すような事が、他にある?」
「かないませんな」
 言い訳を口にする前に二度目の問いを発せられ、かすかな驚きから開いた間の裏も見透かされ、徹は諦める。かといってそのままにほうと息を吐いて天井を仰いでみても、催促するように軽くスリッパ越しに徹の脛を蹴ってくる凛が許してくれるはずもなく。
「仕方ないな」
 一言もらして、寝ている間に乾いた唇をなめた。
「……『暁の村』は知ってるな?」
「もちろん」
「芹山さんいわく、ここしばらく、少なくとも半年以上前から、確実にあの世界の人の出入りが増えている。まず、そういう出入りが無い日が無く、時には一度に複数人、あるいは一日に複数回、出入りが行われた形跡もある」
「それで、どっかにアイツが絡んでる、と」
「そうそう。いや、物分りがよくて……」
「……」
「悪い」
 心底、ずるい、と思う。
 生まれを考えれば凛のその日本人離れした容貌も、そこに宿る愛らしさも、当然といえば当然で、むしろその経緯から忌避されても良いようなものだが、それでも、例えば起き抜けに柔らかなウェーブを描く金髪をかきあげて、大きな眼を瞬かせながら欠伸をする、そんな姿が可愛らしいのは、そしてそんな彼女を徹が確かに愛しているのも事実なわけで。そして多分、そのあたりのことをある程度自覚した上で、こんな風にじっと、視線だけで徹を追及するのだ。多分最初に入れ知恵をしたのは巴あたりだろうが、それがわかったところでどうなるものでもない。
「徹」
 そして、凛の唇が開く。
「最初、今みたいなことを始める前にした約束、覚えてるよね? 徹がやりたいっていうなら止めないけど、その代わり、私も徹にくっついてくって」
 心なしか凛の声が大きくなる。ベッドの上についた手が拳を握り、シーツに皺がよるのがわかった。
「我侭なのはわかってるよ。徹がアイツのことを許せないって言ってくれるのも嬉しいよ。でも、徹とアイツの接点を作ったのは私で、その後もずるずる徹のことを巻き込んでおいて、それなのに肝心のところで置き去りにされたら、私はどうしたらいいの? 家の事は巴さん一人でもなんとかなっちゃうし、監視だけなら芹山さんの助けだけでも足りちゃって、私は徹と一緒にくっついていく以外に助けになりようが無いのに……!」
「凛、声」
 さすがにまだ早い時間だけに口を挟んでたしなめる。だんだんと大きくなる凛の声はいつの間にか普通の会話の声より少し大きいくらいになっていて、階下で寝ている優や巴の眠りを妨げかねなかった。
 ある日突然差出人不明の書類が束になって送られてきて、気付けば篠沢智が持っていたいろいろな物がすべて徹名義になっていた時、徹が、智の存在を念頭において、異世界との関与を続けようと言い出したことに、当初凛はひどく反対した。そもそも、徹を巻き込むことを嫌って、一人で智の下へ戻った凛のことだ、徹が智を恨む必要はないとも言っていたし、そこまでのことをしてほしくもないとも言っていたような気がする。恐らくは、凛自身、智との縁を切ってしまいたいと思っていたのではないかとも、徹は考えている。しかし、それでも徹は色々やられっぱなしなままでは退く気にはなれなかった。ただ徹もそこで凛の反対を力ずくで押し切ってまでやろうとは思わず、二人の話が進退窮まった折に凛から出された、異世界のことに関わる時はいつも彼女も傍にいて、智を追い詰めても絶対に殺人者にはならないという二つをの条件受け入れた上で、今のような役回りを得た。
 とはいえ、抵抗はあった。いかに凛との約束があるとは言っても、できることなら凛と智とはこれ以上関わらせたくなかった。それは徹が異世界に、というよりもおそらくは智に関わり続けることに反対し、今でも時折それを気にする様子を見せる凛への配慮でもあり、いくばくか、智への嫉妬がなかったとも限らない。だから、芹山から「暁の村」の異変を聞いた時点で、その内容は凛には隠しておこうと考えていた。それでも、声に出たか、顔に出たか、隠し事をしていることはばれてしまい、こうして問い詰められているのであるが。
「とにかく」
 深呼吸。拳を解いた凛が、声を落として続ける。
「話はわかった。で? どうするの?」
「ん、とりあえず芹山さんのところだな。いい加減あの人も気が済んだころだろうし、何か奴の尻尾を掴んでるかも知れない。あんまり時間掛けて、逃げられてもたまらないし」
「オッケー。仕度して来るね」
 言って、パタパタとスリッパを鳴らしながら凛が部屋を出て行く。
 救い出して、守っていくつもりだったその背中を見送りながら、やはり徹は一人頭を掻くしかないのだ。