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「なん……」
 なんだありゃあ。
 思わず言葉が漏れた。
 少女についてきた亮は、あの鈴のある部屋にいた。狭く、人が二人も入れば息苦しささえ感じるような部屋の中、その壁に据えられた格子つきの窓から亮の視線は外の空を見つめていた。
 天を、鳥が覆っていた。さながら鵯の群れのように、前の日に、あるいは亮の記憶に残る過去に、少女が操っていたのと同じ赤、白、青、黒の鳥が、四羽といわず、数え切れないほどの大群をなして空を覆い、台風か何かのように渦を巻き、時折何かを見つけたかのように数羽ずつその群れを離れて急降下していっていた。
「とりあえずの、迎撃です」
 少女が亮に背を向けたまま切迫した様相のある声で言って、屈みこみ、鈴に手を伸ばす。
「これで片がつくような相手ばかりなら端から苦労もないのですが、手間は省けます」
 少女曰く、世界の情報を書き換える能力によって後から、恣意的に世界の内に作り出された存在は、その存在の強固さの面で他に劣るという性質を持つ。だからその能力においての一定以上の実力者であれば、その脆弱さにつけ込んで相手が創造した存在が存在しないという創造をしてそれをなかったことにすることも不可能ではないし、能力者はその能力の発動において、言葉や感覚をはじめ、何かしらの物を媒体に自身の想像を強化し、さらにその存在を常に意識し続け、常に新しく創造し、それを更新し続けることで、他の能力者による、いわば「存在の否定」に対抗する。
「流石に私もこの数の『飛鳥』を一度に制御することは出来ませんから……ほら」
「あ……」
 見れば、つい今まで渦を描き、さながら流星のごとき様相で時折地表めがけて降り注いでいた色とりどりの鳥の姿が、一瞬のうちにスライドか何かを切り替えたような素早さで消えて失せていた。
「取るに足らない雑魚の群れならまだましかと思いましたが、そうも行かないようですね」
 つぶやいて、少女が手早く鈴を振って鳴らす。温かく柔らかい音もこのときばかりはどこか張り詰めているような気がして、夜が広がっていくのも心なしか早いような気がした。
「まだ闇の中の方が向こうの足も鈍るでしょう」
 そう、言いながら振り返った少女の視線に促されて部屋を出る。それに続いた少女が軽く一瞥しただけで、どこか年季を感じさせる木の襖が音もなく、素早く閉まった。
「さて」
 なにか仕切りなおすかのように言って、少女が亮の方に向き直る。見上げる顔、真剣な容貌は亮を見ていながらどこか他所に意識を向けているようにも感じられて。亮は何を答えるでもなく、ただその視線に応えるつもりで視線を交わし、次の句を待つ。
「亮は、あの部屋に行ってください。もう門は開いていますから」
 ……ああ。
 意識が宙を漂うような心地がした。少女が「今回も」とか「またの機会」とか言っている、その言葉自体は聞き取れていても、それが意識に入ってこない。
 当然といえば当然のことだ。亮自身でさえその無力さは自覚しているのに、まして流れ人との戦闘を役目と称する彼女が、現状における亮の無力さを認識しないはずが無い。帰れ、と通告されるのも極自然な流れだ。正直、予想さえしていた。
 嫌だ。
 せめてそう一言。できるならさらにくわえて、
俺はお前を助けたい。礼がしたい。
それくらいまで言えてしまえばどれほど気が楽だったか。相手が目の前にいるというただそれだけのことで舌は乾き、言葉は発せられず、脳裏には鳥の群れが消えていく映像が繰り返し映し出され、音だけはやたら鮮明に耳に飛び込んでくる彼女の声が亮の意識になんら意味をもたらさず、そのままどこかへ流れていくような感覚がしていた。
「それでは」
 そして、手短に用件だけつたえた少女は亮の返事も待たずに踵を返し、袴の裾、衣の袖を揺らしながら廊下を静かに駆けていく。その背中は今にも曲がり角に差し掛かり、亮の視界から消えようとしていた。
  †
「おや、妙な頃合で動いたな」
 モニターを覗き込みながら、芹山がつぶやいた。
 画面には時代劇か何かに出てきそうな農村の風景。とはいうものの、晴れ渡った空にはさまざまに彩られた鳥が渦を巻き、時折何かをめがけて急降下を繰り返し、村の中央を流れる小川のほとりには、まるで川の上とそれ以外の部分とで空間の連続性が損なわれているかのように、次々とどこからともなく、老若男女を問わず人間が現れ、中には出てくるなり鳥の強襲にあってその場に倒れるものもいた。
「ざっと三十かそこら、か。随分と集めたものだな?」
 両の眉がへの字になるように動かして、肩越しに降り返る。その視線の先では眉間に皺を寄せた徹がにらめつけるように画面を見つめていた。
「結局、何が起こってたんですか」
「今更問い詰めることかね? ……いやなに、そう睨まなくてもいいだろうに」
 ため息混じりに言って、芹山は画面の前から離れる。手近な椅子に腰を下ろす彼を追って、急かすように徹の視線は芹山の目を捉える。
「つまり、ここ最近の出入りの増加は陽動の類だったってことだ。その実、隠れてこそこそ頭数を集めていた。で、こっちで調べた頃合にはあの世界の境界付近に集めた連中を総待機させて、頃合を見計らってたってところだろうさ」
「しかし何のため……」
「わかったようなことを聞くもんじゃない」
 尋ねる徹に人差し指を向けて、芹山は続ける。
「ただでさえ異常に人の出入りが増えているところにこの人数を送り込んで、しかもそれが皆、こっち側への脱出を求めて全力を振るえばどうなると思う?」
「世界が、自壊する」
「そのとおり」
 芹山が答えたのと、徹が踵を返したのがほぼ同時だった。迷うことなく進む徹の足は磨硝子の張られた扉の前にいたってようやく止まり、振り返りもせず尋ねた。
「凛が準備を終えた頃合だ。隣の部屋のボックス借りるぞ」
「かまわんが、それでどうするつもりだね?」
「それこそ、問うようなことか?」
 その言葉に芹山は鼻でひとつ息をついて応じる。
「どうせあんたは行くつもりが無いんだ。迷い込んでる少年を助けなきゃならないだろうし、どっかにアイツも噛んでるのは確かだろ」
「偽るなよ。先の方はおまけ程度にしか考えちゃないだろう?」
「……まあ、好きにやるよ」
 口元、目元に笑みを浮かべながら問う芹山の言葉に短く答えて、徹は扉を開けて廊下に出た。