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「っ……あ、くっ……」
 意味も無い音が、亮の口から漏れていた。左膝の少し上から全身へ広がるその感覚は痛みと言うよりむしろ体内で炎が燃えているかのような熱さに近く、その灼熱をどうにか紛らわそうと、肩は強張り、息は荒く、言葉も意識を離れて垂れ流されていた。
 今でこそそのなりを潜めている、凛から亮が与えられた盾は、ついさっきまで確かに展開されていた。それなのに、その盾の外から振るわれたはずの突撃槍が、内の亮の左腿に確かに突き刺さっていた。
「それにしても、綺麗に引っかかってくれたわね」
 その倒れた亮の隣で、亮には一瞥もくれずに口を開くアルテメネがいた。
 右手はなおも突撃槍の柄を握り、左手にあったはずの半分になった大盾は、その持ち手を背中に納めたナイフの柄に掛けるようにして下げられ、広がり気味なスカートを押さえつけるかたちになっている。「飛鳥」による足の傷は思いのほか浅かったのか、立つ足どりに危なげは無く、空いた左手には盾の代わりに何か紙切れのような物が、得意気に揺らされていた。
「『写貌の仮面』って言ってね。これを貼っ付けておけば、どんな顔にだってなれるの。それに声真似は昔っから見破られた事が一度も無いのよ。凄いでしょ?」
「ええ、そうですね」
 アルテメネがその『仮面』を消しながら首を傾げる視線の先に、手元に光を宿したままで立つ「暁の巫女」の姿があった。その佇まいにはやはりなんら淀みなど無く、同様に声にも乱れは見受けられず。あくまで視線は亮ではなく、口元でほくそ笑むアルテメネに向けられていた。
「確かに、私は見事に欺かれました。それは認めざるを得ません」
「本当に、見事だったわ。大体、私はあなたに化けて一度神界へ言ってるのよ? 何の仕掛けも無くて騙されるほどまで、こいつが馬鹿だと思ってたのかしら? ねえ?」
「つぁっ……!」
 言ったアルテメネの手が、突撃槍の柄を少し強く握りなおして、傷口のすれた亮の口から新たに搾り出すような悲鳴が響く。それを
「いつまでも五月蝿いのよ」
 不愉快そうに一蹴したアルテメネのブーツを履いた足が振るわれ、青い盾の中を何に当たるでもなく通り過ぎる。
「不思議なもんよね」
「アッぐ……!」
 被害者への配慮など微塵も無く一思いに突撃槍を引き抜き、身を折る亮の口から漏れる悲鳴などどこ吹く風といった様子で、その銀髪を耳にかける。悦に入りきったようでいてその実、槍の穂先は盾の外に出てしまわない程度のところに留め置かれ、確実に亮の方へまっすぐに向いていた。
「私の槍を別にすれば、どんな物だってこの中すり抜けて行っちゃうのよ? どうなってるのかしら、ね?」
「……私にもわかりかねますね。何故貴女の槍だけは例外なのか。一体どういうわけですか?」
「知るわけ無いでしょ? 私だって……」
 アルテメネの視線が、亮に落ち、再び「暁の巫女」へ戻り、
「教えてもらいたいくらいだわっ」
 捻った上体で突き込むように、盾の中、負傷した右足を投げ出した亮へ再び槍が繰り出される。それを横から見る「暁の巫女」の光を宿した右手が、わずかに、しかし横目でそちらへ視線を向けていたアルテメネが気づく程度にははっきりと、跳ね上がるように動いた。
「やっと乗ってきたわね」
 槍がその動きを止めて、目を瞑り、肩をすくめた亮の眉間に触れるか触れないかといったところにその切先を据える。それに会わせるように、膨張して四色に分かれかけた「飛鳥」の光も、鳥を模る寸前のところで動きを止め、先ほどまでの平静そのものといった表情を崩した主とともに、笑みを満面に広げたアルテメネを見据える。
「本当に刺すわけがないでしょ? わざわざ傷口を焼いて、塞いで、血を止めてまで捕まえた人質なのよ? 殺しちゃったら意味が無いじゃない」
 彼女の言うとおり、亮の左脚にぽっかりと空いた円錐形の傷跡からは、血の一滴も流れておらず、それがむしろ光景の不気味さを増していた。
「まだそんなことを……!」
「言うわよ。当たり前じゃない」
 表情をゆがめた管理者たる少女に対し、アルテメネは堂々と言い放った。
「あなたに私がどんなに必至で向かっていったって、かなうわけがない。でもこいつならどうにかなりすぎるくらいだし、それにこいつはあなたに対して人質になるだけの価値があるもの。違う?」
「……」
「まだそれで誤魔化せると思ってるの? ……あなた、こいつのことひっぱたいてまで逃がそうとしてたじゃない。あのおかげで私も神界に行くのに一手間かけなきゃいけなくなったんだけど……。それとも、本当にこいつがなんでもないなら、撃ってみれば? 勿論そのときはこいつも道連れだけど」
「出来るわけが無いでしょう。この世界以外の人間をこの世界では死なせない。管理者としての当然の務めです」
「……まあ、いいわ」
 アルテメネが不愉快そうに表情を歪めたのは一瞬のこと。ため息のように吐き捨てた主に従い槍の穂先が角度を変えて、その円錐形の側面を龍の首筋に当てる。直後、
「ぐぁっ、っ……!」
「亮!」
 亮の傷口を焼いたのと同じ原理、その槍の穂先が加熱された状態を創造し、その熱くなった金属を生身の首筋に押し当てたのだ。痛みか熱さかの区別も判然としない刺激に亮が反射的に飛び上がり、しかしそれが負傷した左脚を動かすことになって、ろくに移動もできず倒れる。それにあわせて、一瞬展開した青い盾も、明滅して、消えた。
「フフ……。さっきからぜんぜんしゃべらないと思ったけど、ちゃんと悲鳴は出せるのね」
「……」
「睨みつけるだけしかできないのね、やっぱり」
 「暁の巫女」の表情に、もう一度アルテメネが笑う。笑いながら、もう一度槍の切っ先を亮の眉間に向ける。
「さあ、神門、あけてくれるわよね?」