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「貴方達……!」
 その声は、すぐさま身構えた「暁の巫女」のもの。その表情は、既に「暁の村」の管理者として流れ人に対するときの、あの毅然としたものに戻っていて、亮もそれにならう。そして、
「よう。今頃戻ったのか」
 その声が、亮と「暁の巫女」の背後から聞こえた。
「……智様?」
 前方への警戒は解かず、ただ肩越しに少女が声の主の方を窺う。亮などは、反射的に完全に首ごと後ろを振り向いてしまって。
 え、だって……。
 流石に亮にも、普通ならそれはありえないと分かる。だって、確かに今はその思惑は不明瞭だが、智はすべての俗界の開発者で、その秩序の維持に反するから、各俗界の管理者に対して流れ人の取締りを命じたはずで。それなのに、
「好きでこんなにかかったわけじゃないわ」
 そう応じる声の主は、地面にも届くかと言うほどの長いシルバーブロンドに黒いドレスにブーツ、同色の手袋を肘までかぶせた両腕には、無骨な大盾と突撃槍を携えた少女、アルテメネに他ならなくて。
「こいつがなかなか動かなかったの」
 言いながら肩越しに指差す先、彼女のすぐ後ろには、くたびれた煉瓦色のロングコートを纏った男がどこか亡霊を思わせる佇まいでいて、何も言わず亮たちの方に顔を向けている。
「どういう、ことですか、智様?」
「どうもこうもないでしょ? 私達とその人は仲間同士ってことよ」
「そんなはずは……っ!」
「でも、なんで私達が来たのに気付いたの?」
 恐る恐ると言った調子で「暁の巫女」が発した問いに横合いから応じたアルテメネが、振り向いた「暁の巫女」の頭越しに智へ話しかける。
「それの腹の傷が、俺が何もしないのに治ったからな。今この『村』にいる中でそんなことができる奴は、お前の後ろのそいつしかいない」
 智の言うとおりだった。「暁の巫女」の纏う巫女装束はところどころが破れたり焼け焦げたりしていて、中でも殊更見る者の目を引く、その白衣の腹と背中にぽっかりと、乱暴な輪郭を持って空いた穴と、その周囲の赤黒い染みとの中央には、傷一つ無い、白々とした彼女の素肌が覗いていた。
「何でそんなことするのよ。私のことだけ治してればいいのに」
 そういうアルテメネは、その言葉の通り、彼女自身の傷も、衣服や背中に備えたナイフの鞘も、先の「暁の巫女」との先頭での損傷をすべて回復している。
「俺がそう命じたからな。流石にそれにもそう簡単に消えられちゃ困る。でも、あれは余計だったな。あの程度の傷、放っておいても管理者は死なない」
「へぇ」
 そんな智とアルテメネのやり取りは十分親しげで、仲間同士というアルテメネの言葉も状況からはむしろ肯定できるように思える。少なくとも、先程の「暁の巫女」への暴虐といい、亮や彼女に友好的でない事は間違いが無い。
 こいつ……。
 身体ごと智の方へ向き直りながら、確実に後ずさりして距離を開く。智相手に盾は意味をなさないし、かといって亮に出来ることなど他にない。それでも、せめて相手が何かしてきた時に逃げられるように身構えなおす。そこに
「智様?」
「ばっ……」
「しつこいわよ」
 未だに受け入れきれない様子の「暁の巫女」が、あろうことか智に駆け寄るようなそぶりを見せて、亮が制止しようと口を開いた折、アルテメネのその一言で少女が足を止めた。
「言ったでしょ? 私と智は仲間で、あなたにはもう用がないの。あなたはただ『神門』だけ開いて大人しく消えればそれで良いのよ」
「ですからそんなはずはありませんっ!」
「それがしつこいって言ってるのよ! いいからさっさと……」
 言い放つと言うよりも、感情を吐き出したような「暁の巫女」の台詞にアルテメネが突撃槍を握りなおして叫び、そのまま「暁の巫女」へ飛びかかろうと腰を落として。
「で、お前は何をそんなに勝ち誇ってるんだ?」
 そこに、その、つまらなそうな、平坦な智の声が割り込んだ。
「え? だって私もこいつも全快で、それにあなたがいたら勝つに決まってるじゃ……」
「こいつ? それは誰だ?」
 戸惑い気味に答えたアルテメネに再び問う智の意図がまるで分からず、亮は内心で首をかしげる。それはアルテメネも同じなようで、小さく眉を顰めた彼女は自分の後ろを振り返って、
「ほらこの……」
 そこにいる、くたびれた煉瓦色のロングコートの男を指差して。
「この……なんだ?」
 瞬間、たしかにそこにいたはずの男が、忽然と姿を消した。
 な……!
 状況を理解しきれていない亮だけが、人が一瞬で消えたという事実に、二人の少女は、その男が姿を消したという事実に目を丸くした。
 例えば「暁の巫女」の操る「風鳥」のように、時には能力を用いて動物等の従者を創造することも出来る。それは人についても例外ではなく、そして能力で創造されたものである以上、それが忽然と姿を消すことも十分ありうる話。
「……なんで?」
 今度こそ本当に分からないといった様子、むしろ食って掛かるような様子でアルテメネがその銀髪を乱して振り返り、尋ねる。
「『事がすむまで貸してやる』って、あなたそう言ったじゃない! なんで今消しちゃうのよ! これからでしょ?」
「寝言を喚き散らすな、鬱陶しい」
「そんな……っ!」
 その台詞を言い終えず、アルテメネは息をのむ。彼女の黒いブーツのつま先のすぐ先で、自身の質量によって石畳に突き立てられた細身の剣が、弦楽器のような振動音の余韻の中、その身を細かく震えさせていた。
「確かに事がすむまであれを貸してやるとは言った。でもお前はもう負けただろう。そこで、もう終わりだ」
 頭上へ真っ直ぐ右腕が伸びているのは、今しがた剣を上方目掛けて放ったばかりだから。その腕を戻して、智は続ける。
「大体、お前は何のためにこの『暁の村』まで来た?」
「そんなの、神界に行くために決まってるじゃない」
「じゃあ、もう目的は果たせてるだろう?」
「でもまた……」
「またここに戻ってきたのは、お前のせいだろう?」
 焦れったそうなアルテメネの反論の言葉に重ねて、平坦な声で智が言う。
「少なくとも一回は、確かにこの『村』を出て神界に行った。そのまま向こうで大人しくしていれば何事も無かったはずなのに、こちらに戻された原因はお前が何かしらへまを踏んだからだろうが。しかも何だ? 帰ってきて、たまたまもう一度チャンスがあったのに、少し追い詰められただけでろくにはったりも使えずに見透かされて、結局負けただろう」
 抑揚を抑えた智の言葉に、アルテメネは眉間に皺を寄せて、突撃槍を握る右手に力をこめる。
「まさか、全部見てたの?」
「ああ、見てた。ただの回復役だけのためにあの男をお前なんかにつけたと思うのか? あれは状況を見失わないための俺の目だ」
 応じる声にはどこか欠伸交じりの気配すらあって、アルテメネは少し、視線を下へ落として。
「……状況次第じゃ助けに入るって約束したのは?」
「……は?」
 尋ねたアルテメネに対する応えに、初めてはっきりと抑揚が、まともに取り合おうという意図などまるで感じさせない響きが混じった。
「そちらこそ、まさかその『状況』にあたるようなことがあったとでも? 冗談じゃない。もう全ては動き出して、『村』はこの通り。今更お前一人どうなったところで何も困らないだろう」
「そんな……」
「なんだ、まさかあれだけごちゃごちゃ集まってるところで自分だけ特別だとでも思ってたか? 本当に『仲間』だと?」
 一度起伏を得た智の、喉を鳴らすような口調は途端に生き生きとして、しかし一方ではその活力をどこかで押さえ込んでもいるようで。時折揺れる髪に隠れる目元にうっすらと笑みを浮かべながら、空中で右手を、開いて、閉じる。同時、「何かを掴んでいる」という想像から創造された細身の剣がその手に握られて、アルテメネがすぐさま応じて、掲げた盾の奥で槍を構えて腰を落とす。
「最初にお前が先走って出てった時、万が一『空門』を通されてもここに戻ってこれるようにフィルター作ってやったのだって、あそこで頭数が減るのはおもしろくなかったって言うだけのこと。面倒だから放置してあったけど、今頃また戻ってきたところでもうお前の出番は無いんだよ」
「ああ、そう。結局のところ、あなたもそこのしつこくて頭の固い女の味方ってことでしょ?」
 言ったアルテメネが視線を送る先をたどれば、そこには「暁の巫女」たる少女。その姿を一瞥して、
 あ?
亮は思わず我目を疑った。少なくとも智が目の前の流れ人に敵対している。その事実を確認しただけで、少女は、右手をすっと前に差し出し、「飛鳥」を放つ体勢を整えていた。
「そんなことはない。俺はただ、いつでも自分の好きなようにする。それだけの話だ」
「好きなようにして、あなたも最後の最後で裏切るんでしょ!」
 アルテメネが叫ぶ。膝をまげ、腰を落としていたその脚に、体を蹴り出そうと力がこもり、そこに釘を刺そうと、僅かに遅れて「暁の巫女」の唇が開く。
「裏切る? そもそもはじめから手を結んだ憶えもない。お前が勝手についてきただけだろう」
 しかし彼女達のどちらよりも早く、アルテメネの背後でコートの裾を波打たせて立つ、智の姿があった。
「こっ……」
「飛鳥!」
 息を呑んで、振り向くアルテメネの右手は、握った突撃槍をすぐにでも突きこめるように構えていて、それを見止めた「暁の巫女」がすかさず四色の光の鳥でその腕を狙い打つ。
 ガン
 直後、重い金属音が響いて、全員が動きを止めた。