28

「で、判定は?」
「……六十点」
「低っ!」
 落ち葉を払い落としていた手を思わず止めた徹の台詞に、凛が「当たり前でしょ」と応じながら額から手を離す。
「『お前がいてくれなきゃ、俺が困る』って。他に言うことあるでしょ? せっかく人が素直に甘えてるのに、もうちょっとこっちの意図汲んだりできないかな?」
「ふっざけんなこのヤロウ。人が真剣にその台詞言ったとたんに笑いやがって。あの距離で頬ひくつかせたらすぐ分かるんだよ。大体、人に心配かけるだけかけといて、寝起き早々頭突きかましたくせに都合のいい」
「だって何て言ってくるかと思ったらあんなこと言うんだもん。それに私はその前にもっと心配かけられました」
 言いながら、凛が、適当に濡れた落ち葉を退けたところに創造した小枝を積み重ね、同じく創造したばかりの炎をそこに置いて焚き火にする。そのすぐそばに座り込んで手をかざす凛に近づいて、徹は自分の革ジャンを彼女の肩に羽織らせた。
「ありがと」
「そっちも、サンキュ。あそこでお前が飛び込んでくれなきゃやばかった」
「ん」
 小さく頷く凛の横に、徹も座り込む。いささか不安定な体勢ではあったが、それでもぱちぱちと小気味のいい音を立てて燃える炎の暖かさにはどこか離れがたいものがあった。
「大丈夫か、服とか、寒さとか」
「うん。服はその気になればすぐだし、寒さもこれだけ暖かい火の傍にいれば大丈夫」
 文字通り、「この服は乾いている」「寒くなんかない」と思い込んで「その気になれば」、現実がそれに追従する。つくづく、能力を使えることの便利さを噛み締めながら、徹は立ち上がる。そこに、
「ねえ」
 凛が声をかけた。
「このあと、どうするの?」
 その声に徹が凛のほうを伺えば、彼女は目の前の炎のほうに顔を向けたままで、徹も別段彼女を見つめるわけでもなく、適当に足元の落ち葉をつま先でかきまわしながら応えた。
「まあ、とりあえずは亮君に追いつかないとな。どこぞの馬鹿が彼にも何かしようとしてるみたいだし、そうでなくても彼にはもう一回あってちゃんと話しないといけないし」
「アイツは?」
「当然、とっ捕まえてぶん殴る。結局あれには逃げられたままだ。どうせあの様子なら亮君の所に行けば出くわすだろ。……ああ、大丈夫、今度はもう、流石にさっきみたいな無茶はしないから」
 慌てて徹が付け加えて、視線を凛の方に戻しても、彼女はまだ薪の炎を見つめていて。どうかしたのか、と徹が問うよりも先に、どこかためらうような歯切れの悪い口調で、凛が問うた。
「それで全部だよね?」
「……だろ?」
 質問で返す徹に、凛は唇を引き結んで一つゆっくりと息を吐いて。
「あのさ、一つ我侭言っても良い?」
「……おう」
 凛が改まってそんなことを言うのも珍しくて、何事かと思いながらも徹は頷いてみせる。その徹自身にも、一応は凛によどみなく応えては見たものの、実際はどこか迷いがあった。正直再会した智の強さは徹の予想以上で、その手に掛かって凛が呼吸を止めているのを見たときには本当に驚き、焦って。それでもなお未だに消えない恨みの勢いだけで向かっていくことに、微かながらためらいがあった。自分がそんな有様なら、凛にだって思うところの一つや二つあるだろう。そんなことを思う徹に、凛がおもむろに立ち上がって、向き直った。
「ここの管理者を助けてあげて」
 言った凛の眉間には不安の現れのような皺があって、それが彼女が真剣そのものなのを示しているかのようで。
「……凛」
 徹はため息混じりに、たしなめるようにその名を呼んだ。
それほど驚きは無かった。凛が徹に黙って亮に協力した時点で、彼女が少なからず「暁の村」の管理者、「暁の巫女」を救いたいと思っていることは明らかで、ひょっとしたらいずれそんなことを凛が言い出すかも知れないとは、徹も思っていた。
「出来るわけ無いだろ、そんなこと。そんなことしたら……」
 ただ、凛自身が不安げであるのを見れば、彼女が徹が賛同しない事も、その理由も分かっているのは明らかで、だから徹はどこか安心しつつ、口を開いた。それなのに、その台詞は凛に遮られた。
「出来ない理由なんてどうでもいいの!」
 今度は、まさかそんなことを言われるとは思ってもみなくて、一瞬徹の思考が停止した。
「徹は『したいようにする』んでしょ? ここの管理者を見捨てる事が徹のしたいことなの?」
「……それで守れる別の物を守りたいからな、俺は」
 思いつめたような声で問う凛に、彼女の意図を探りながら落ち着いて応じる。
「ここの管理者を見捨てるのは、そりゃ良い気分はしない。でもここで彼女を助けたら、ほかの流れ人はどうして切り捨てなきゃいけない? それにそもそも彼女を助け出せるのは俺達がこっちの人間じゃないからで」
「それをやったら俗界の人間と平等じゃなくなるって言うんでしょ。そういう事が言いたいんじゃないの」
 もどかしそうな表情を浮かべて、凛が続ける。
「そんなの全部、勝手に徹が決めて、思い込んでるだけじゃない」
「え?」
「そうでしょ? 普通の流れ人は単に自分の不満をズルして解決しようとしてるだけでしょ? でも今回は、下手したら住む世界と一緒に死んじゃうんだよ? こんなどうしようもない理由があるときぐらい、例外にしたって良いじゃない。それでもどうしてもこっち側につれてくるのがだめって言うなら、せめてよその俗界に移したって良いでしょ? それに」
 一気にまくし立てた凛が、僅かに間を置いて、言った。
「平等とか対等とか、何でそんなの気にするの?」
「そりゃ、俗界の外側の俺たちが自重しなかったらやりたい放題になっちまうだろ」
「で? 徹はやりたい放題しようと思うの? そんなこと思うんだったら、そもそも自重しようとなんかしないよね?」
「……ああ」
「じゃあ良いじゃない!」
 一歩、凛が徹に詰め寄る。
「どうせ初めから違うのに、無理してそろえようとするからおかしくなるんでしょ。使える力があって、他に対処法が無いのにどうしてそれを隠さなきゃいけないの? 別に、徹がちょっとくらい俗界の外側の特権使ったって不公平じゃないよ。その代わり、徹は流れ人みたいにいろんな物作れないじゃない」
「そりゃお前、流れ人は俗界の中の特殊例で……」
「徹みたいに、俗界のことを知ってる人も十分特殊だよ。ちょっとくらい開き直って特権使ったって、そういうことで一応筋は通せるんじゃないの?」
 凛の言っているのは実際、後付けで理屈を通そうとするただの屁理屈でしかない。それ故にそこには論理の堅実さが無く、代わりに現れる「なにか」だの「ちょっと」だの「一応」だのの羅列につい、徹は感想を漏らした。
「そんなファジーな……」
「ファジーで良いじゃない!」
 噛みついた凛が目に見えて勢いを増した語調でまくし立てる。
「徹が私のこと助けに来てくれたとき、私が徹には関係ないってどんなに言っても、『知るか。俺はしたいようにするだけだ』って言って助けてくれたじゃない! その徹がどうして自分をがんじがらめにするような決まりを勝手に作って信じ込んでるのよ! 『したいようにする』って、功利主義って、そういうことじゃないでしょ?」
「だから……」
 一方で応じる徹の方にもそろそろ苛立ちがあって、自然と語調が剣呑になった。
「そうしてでも守りたいものがあるんだって言ってるだろ」
「何よそれ!」
「俺たちの関係だろうが! 気付けよ!」
 そして、ついには徹まで怒鳴っていた。
「俺たちにとって俗界の中と外の平等はそんな適当に扱って良い問題じゃないだろ!」
 言われた凛が得心したとばかりに少し目を見開いて、視線を落とした。
 どうしようもない事実として、凛が俗界の内側で生まれた存在である以上、俗界の内外の平等は、徹と凛との関係を平穏に保つために、絶対に維持しなければならないはずで。当然のこととまで思っていたそれを今更説明したことが、怒鳴ってしまった反動と相まって妙な疲労感をかき立てて、思わず顔を背けてため息をついた。
「ずっとそんなこと考えながら動いてたの?」
「ん、ああ」
 尋ねてくる震える声に振り向けば凛がうなだれたままでいて、その姿に、言い過ぎたか、とかすかに罪悪感を覚えて、言葉を濁して頷く。ただ、今のやり取りに使った時間を考えると、智が亮に何かするつもりなら、そろそろ急いで駆けつけた方がいい頃合いだった。
 仕切り直すか。
 幸いもう言うだけのことは言って、ようやく話も振り出しに戻っていて。気分転換のつもりで一つ大きめに息を吸い込んで、冷たい空気で肺を満たす。そこに、
 パンッ
 乾いた音が辺りの大気を一瞬振るわせて、消えた。
「な、にを……」
 どうして叩かれたのか皆目見当がつかなくて、ちりちりと痛む左頬をおさえて呟く。その目の前には、振り抜いた右手を戻しもせず、所在無げに宙に留めたまま、唇をかみしめて徹の顔を見上げる凛がいて。
「本気で言ってるの?」
 呆気にとられる徹に、不穏に静かな声で問うた。
「私達の関係を守るためだなんて、そんな、馬鹿なこと……!」
「馬鹿って……」
「馬鹿じゃない!」
 叫んで、気を静めようとでもするかのように、大き目の呼吸を数度繰り返す。その有様は落ち着いているというよりもむしろともすれば臨界点を超えそうな感情を何とか押し止めているといった風で。
 なんだ? 俺何かしたか?
 徹には、どうして自分が叩かれたのかも、まして何に凛がそれほどまでに怒っているのかも点で分からなくて、ただ少なくとも、凛が徹の知る限りで一番怒っているという事実に、彼女の様子を窺いながら一方で自分の言動を振り返ってみたりして。
 その最中、凛の表情に広がっていた強張りが一瞬、何か抜け落ちたかのように緩んだ。
「あ……、ごめん」
「え?」
「私に、これ言う資格なかった」
 まるで事情を飲み込めない徹から、一歩後ずさって凛が離れる。徹の方でも自然と緊張がほぐれて、頬にあてていた手も離して下ろす。しかし状況的に取り残された形の徹からは話を切り出せなくて、かすかに困惑がその胸中に浮かんだ折、凛が細くため息をついて、口を開いた。
「もともと、徹が私に気を遣って、俗界の内側と外側の平等とか言ってるのは、なんとなく、そうかもなーって思ってたんだ。勿論徹が純粋に正義感からそういうこと言ってる可能性もあったけど、徹がその辺り気にしだしたのって、俗界の管理をすること決めた直後だったでしょ。あの頃、ちょっと喧嘩したでしょ?」
「ああ……」
「あの時私結構しつこく反対したから、それで気遣わせちゃったかなって」
「まあ、そんなに間違ってない」
 徹が俗界に関われば、必然的にそのプログラムに手を触れることになる。もともと凛は俗界の内側で智に創られた存在であるから、徹が俗界のプログラムに手を加えられるようになれば、凛も、実質的には、文字通り、徹が完全に自由に扱えることになる。凛の俗界への関与への反対ぶりは、案外智の存在よりもそちらへの不快感があるのかもしれないと、徹が思って配慮したのは事実だ。
「それに俺自身、ちょっと気味悪かったからな、キーボードひとつで何でもできるって言うのは」
「うん。でね、なんとなくだけどそれが分かってたから、私のためにやってくれることなら、私も従おうって思ったの。もともと徹は私をアイツのところから助け出してくれて、それだけでも感謝しきれないくらいだもん。正直言うと、俗界の人間にできない事は基本的にやらないとか、ちょっと厳しすぎる気もしたけど、これは従うのが筋だろうって。でも、今回は、ね……」
 そこで言葉を切って、思い出したように背後の焚き火の方に振り返り、腰を落とす。炎の灯りに透けて、凛の長い金髪がうっすらと、赤く輝いて見えた。
「ここの管理者は、どうにかして助けてあげたかったの。でも、それをやったら徹の決めたことには反することになる。色々悩んで、亮君が助け出すんだったら、一応は丸く収まるんじゃないかと思ったの」
「それで、あの盾か」
「それだけじゃないよ。私、徹のところで紅茶飲んだ後で、彼のところに事情を説明しに行ったの。そしたら彼、ここの管理者連れ出すどころか流れ人連れてきたって完全に落ち込んでて、もう自分じゃどうしようもないから私達でどうにかしてくれって」
「ハハハ……」
 なんとなく、ベッドでうなだれる亮の姿をイメージして、乾いた笑いを漏らす。同時に、微かに亮と自分との相違感じた。今回の亮の件の場合なら、救出失敗の直接の原因は亮自身の間違いにあって、他にどうしようもない失敗の原因があるわけでもないのにそれで諦めるというのは、徹には理解はできても共感はしかねる部分があった。
「私も頭に来てね。本当に助けたいんなら何度でも足掻いて見せろって、胸倉掴んで言ってやったんだけど」
「……ハハハ」
 何故だか、これもイメージできてしまう辺りで亮がいくらか哀れに思えた。
「そしたら、それを巴さんに聞かれてたのね」
「姉ちゃん?」
 思わず聞き返す。徹から巴や優に俗界の話をした事は無い。二人の方でも、徹や凛が何かしていることぐらいは流石に気付いているだろうが、特別何も言ってこないので、徹としても特に取り繕った嘘をつくこともなく済んでいて。だから、ここで巴の名が出る事がどうも不自然に思えた。
 その徹に、凛は肩越しに「そう」と頷いて、再び視線を焚き火に戻す。
「でね、言われたの。身内なのに、変な遠慮するなって」
「……? どういうことだよ」
「亮君にね、なんで私達にここの管理者を助ける事が出来ないのかって訊かれたの。その時はそれは自分では助けるつもりが無いってことか、って訊き返して誤魔化したんだけど、それを聞かれてたのね。で、どうせまた徹が意地張って私がそれに付き合おうとしてるんでしょ、って」
「『また』?」
「そう、また」
 そう言って、今度は凛がため息交じりの笑みを漏らした。
「私としてはやっぱり徹の自制は厳しすぎると思ってたから、その縛りのせいで徹がわざわざ問題事の真っ只中に飛び込んでったり、もっと安全な方法があるのにあえてそれを使わないのが見てて時々嫌だったの」
「……へえ」
 初めて聞く告白に、納得しきれない部分を覚えながらもとりあえず相槌を打つ。凛の方でもそんな反応は予測していたのか、時折肩越しに徹の気配を窺っていた。
「で、そういうことがあると大抵、何をイライラしてるんだーって巴さんが話しかけてきて、言うの。『いつまでも変な遠慮するの、やめなさい』って。私としては徹のあの方針には従うのが筋だと思ってるからそこに関する文句は言わなかったんだけど、言いたい不満があるならちゃんと言えって」
 「知らなかったでしょ」と笑う凛に曖昧に相槌を打つ。徹はこれまで巴がそこまで自分や凛のことを気にしているとなど考えた事がなくて、凛の言う巴の台詞がただただ意外だった。
「でも考えてみたら確かにさ、毎日顔つき合わせて生活してるのに、いっつも文句を仕舞い込んでるのってやっぱり変だよね。少なくとも、相手との関係に自身があれば文句だってあけっぴろげに言えるはずなのにさ、私今回も、巴さんの話聞いて、それでもけじめは要るじゃないって思っちゃったの」
 そこまで言って、凛が立ち上がった。炎に照らされた髪を揺らして、もうすっかり乾いたワンピースの形を整えて、振り返り、徹の顔を改めて見上げる。
「そんな私だから、こんなこという資格はないんだけど」
 両手を腰の後ろに回し、口元には穏やかな笑みを浮かべ、しかし目元は真剣そのものに、言った。
「徹がさっき言ったとおり、この先も俗界のプログラムにちゃんと節度を持って触るなら、少なくともここの管理者一人をちょっとプログラム弄って助けたところでどうにかなっちゃうほど、私達の関係は弱くないんじゃない? 私達の関係を守るためっていうのは、ちょっと、ひどいよ」
 ああ、そういうこと。
 ここに及んで、ようやく徹も先程の凛の激昂の所以を理解した。言われてみれば、初めは単に凛への気遣いのつもりで俗界の住人と平等であろうとしていたのが、いつの間にか、自分と凛とのどうしようもない違いによる力関係を意識してしまったら、自分と凛との関係は今の通り平穏なままではありえないように思い込んでいた。少なくとも今凛が復唱した徹の台詞には、そんな意識を感じさせるものがあって、凛が一時ながら怒ったのも当然に思えた。
 ただ、例えその認識がいつの間にかずれて行っていたとしても、そもそもが凛への気遣いから始まったことは紛れもない事実で。
「お前は、良いのか?」
「何が?」
「俺がプログラム弄ってここの管理者助けること」
 確認のつもりで問うた徹に、凛は少し、考えるようなそぶりを見せて。
「そりゃあ勿論ちょっと気持ち悪いことはあるかもしれないけど、さ。それを言うなら今更じゃない?」
「……『中途半端な偽善者』ってか?」
「そう」
 かつて、芹山に言われたことがあった。能力を使えないが故にプログラムを書き加えることで変身能力とも言うべき力を手に入れて、芹山を通じて間接的に俗界の監視もして置いて、それで俗界の住人との平等を唱えてプログラムへの介入を自制するなど、中途半端に偽善的なだけじゃないか、と。
「それに、私も、今回亮君に盾を作るのにプログラム弄ってるし。私も徹も、他にやりようがないからってプログラム触ってるのに、他に救いようのないここの管理者を助けるためにプログラムを触らないのって、おかしいよ」
 既に先例はあるのに、ここにきてそれを例外扱いするのかと、そう問われてしまえば確かに凛の言うことの方が筋が通っていて、徹は返事に窮して口を噤む。
「大体、徹はいちいち律儀すぎるのよ」
「そうか?」
「絶対、そう。筋を通そうとしすぎって言うのかな? 『したいことする』って言いながらそのほうが周りにもいい結果になるはずだ、っていちいち理由つけてさ。今話したことだってそういうことでしょ? 別にそれだけなら良いけど、それが行くとこまで行って今回みたいに誰も喜ばない選択をすることになったら、本当にバカみたいじゃない」
 言われてみれば、それは随分正しいように思えた。そもそも、徹が「したいようにする」と言い出したこと自体、そう言わなければ徹を遠ざけようとする凛を智から解放する術がなかったからに他ならない。結果としては変わらなくても、自分のしたいようにするということを言語化して宣言し、自分に軸を与えなければ、徹はそれを実行に移す事が出来なかった。
「参ったな。お前にそんな分析されるとは思ってなかった」
「だって、かれこれ初めて会ってから五年経つんだよ? いい加減……」
「や、そういうことでなく」
 不思議そうに、凛が小首をかしげる。その表情を少しだけ無言で楽しんで。
「一端口開いたらブレーキの聞かない凛がねぇ……って。ちょっと感心したぞ」
「……今夜の晩御飯担当、私なんだけどな」
「大丈夫。俺もちゃんと料理できるから。何ならお前の以上のを作ってやろうか?」
 遠まわしに低脳扱いされた凛が引きつった笑みを浮かべ、金槌を創造しようとした右手を、徹は手首の辺りで捕まえて、すかさず凛が引き戻した右足が蹴りだされるのにあわせて、左足を持ち上げて向脛を逃がし、にっこりと笑ってみせる。
「ふん、知らないっ」
「あ、ストップ」
 ふてくされたように髪の先で円を描くように踵を返し、徹の手を振り払った背中を呼び止める。
 一つだけ、疑問があった。
 亮がそうであったように、徹もかつて智から、凛がプログラムとして作られた人格だということを知らされたとき、すぐには納得できなかった。そして、ためしに人間がプログラムであるとはどういう感覚なのかと想像してみた。自分の肉体も、思考も、精神も、全てが他人が参照し得る情報の集合でしかなくて、場合によっては自分の意志の全く関係のないところでそれを書き換えられるかもしれない。そう考えるとそれはなんともいえない不安感を掻き立てて。それは凛自身も認めているところなのに、
「……どうして、そんなにここの管理者に拘るんだ?」
 凛も「ここの管理者は、どうしても助けたかった」と言った。
 確かに「暁の村」は、言い方は悪いがある意味失敗作の掃き溜めで、世界自体もあまりに狭く、昼夜はあるが朝夕が無いなど、奇妙な世界であることは事実で、そこを治める「暁の巫女」その意味では変わっていると思う。ただ、それだけでどうしてそこまで凛が特別「暁の巫女」を気にするのかは、分からなかった。
「んー、なんていうかさ」
 凛は人差し指を顎に、視線を宙に彷徨わせて、少しだけ間を置いて。
「似てるんだよね」
「似てる?」
「そう、私と」
 そう、言った。
「直接的な理由は私と管理者とで少し違うけど、狭いところに閉じ込められて、逆らいようもない状況でアイツの理不尽な暴力につき合わされて、最後はその世界ごと消されるなんて、そっくりじゃない? そしたら見捨てられないな、って。幸い、私を徹が助けてくれたみたいに、ここの管理者にも亮君っていう彼女を助けようとしている人がいる。だったら、もうほっとく理由が無いじゃない」
 違う? と、首を傾げてくる凛に、今更何も言うことなど無かった。
「で、どう?」
 最後の摘めとばかりに、凛が尋ねる。
「徹は、どうしたいの?」
 徹だって、自分なりに結果の善し悪しを判断して行動を決めていたつもりだったのに、その根本となる判断を凛はすっかり覆してしまって。
 その上で 実質伸るか反るかの二択しか与えられていない問いを投げてくる凛に、徹は笑み混じりのため息を漏らした。
「まあ、ここで見捨てて明日以降の目覚めが悪いのはいい気がしないからな」
「よろしい!」
 飛びついてくる凛の肩から、革のジャンパーを取り戻して羽織る。正直、いつものいたずらとは訳の違う凛の抱擁はなかなか気分が良くて、抱きしめ返したくなるのをこらえて、彼女の体を押し戻す。
「その代わり、急ぐぞ。時間を使いすぎた。あの馬鹿が何するつもりか分からないし、まずは亮君と合流するのが最優先だ」
「了解」
 そして、二人は拳をぶつけ合った。そして次の瞬間、夜闇に覆われていた「暁の村」の空が、突然現れた、無数の「飛鳥」の群れに覆われた。