ちょっとだけ考えてみた(とっても、メモ帳です)

とりあえず前提として
・日常物質世界を(否応なく)ケとし、その外側にあるものを自らと関わりのないハレのものとして傍観する集団
・日常物質世界を(否応なく)ケとしながらも、一方でその外側にある物もまた別のケとして自身の環境にとりこんでいる集団
の共存。後者はマイノリティーであって、かつそれを自覚している(二つのケが環境的に一体として存在しがたいことを知っている)

(何らかの切欠:多分二つ)

ハレとみなされていたケを受容する層の急激な拡大(既存集団への取り込みが間に合わないほどの)→無自覚に「ケ・ハレ」集団に属していた集団の好奇心を刺激、接近→「ケ・ケ」集団が持っていた「ケでありハレであるもの」へのニーズの相対的低下と、それらのニーズが形成された背景を共有しない新参層にも理解可能であるという条件を満たした何かしらの供給

・「ケでありハレであるもの」の中にビッグネームが形成される→諸領域の差異意識の強化、分化
※この時点で「ケ・ハレ」集団は確かに存在している
※旧来の「ケ・ケ」集団には取り込まれなかった新参層の「ケ・半ケ」化→古参二集団間の無人格なパイプになる→古参層同士の否応ない接触→内部では分化の進行とみられているものが、外部からは単一集団の拡大と映る(それも「ケ・半ケ」集団にとって、半ケはハレでなく、小さいケとして否応なく受容させられるケの内に共存可能と捉えられることによる配慮のない拡大)

(再び何かの切欠)

肥大する「ケ・ケ」集団への「ケ・ハレ」集団からの攻撃的接触→『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』状態
※問題は、外から単一とみられている集団内で自分たちは別物だ、と思っている層が一定数いること

 多分こんなことだと思うのですよ。問題は、三つあげた切欠をうまく言い表せないことか。最初の二つはエヴァ電車男を想定したのだけど、最後の一つはなぁ……。
 行動がただ「こうしたい」という欲望のみに基づくのならば、かつ今回の規制騒動が方々で言われるように論理的正当性を伴わないのならば、「ケ・ハレ」集団(の、少なくとも他の賛同を得られるだけの条件をそろえた一部)は「ケ・ケ」集団を攻撃したい→対する「ケ・ケ」集団の現状は、各個撃破してくださいと言わんばかり

 その上で僕が「こうならいいなあ」と無責任に望むところをあげるとすれば、月並みですが、やっぱり『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』状態からの脱出になるんですよねぇ。とりあえず、マジョリティーに一体としてみなされた時点で、世界全体の中では一体であるのが真実なんですから。

んー、それにしても、穴だらけ。