換気扇の音。吸い出されていく白い湯気。時々水面に落ちてきては、小気味良い音を立てる雫。叩けば樹脂の安っぽい音のする、ありがちな湯船の中に半ば寝転ぶように足を伸ばして、軽くため息をつきながら晋治は居た。
 時刻は夜の十一時少し前。両親の寝静まる時間を考えれば、文句を言われるぎりぎり手前。このまま静かに風呂から上がればまあ、髪が乾く頃にはこの家の中で起きているのは晋治一人になるだろう。それからはパソコンを立ち上げて、恐らく届いているのであろう柏木からのメールに適当に返事を出して、日付が変わる頃に床につく。いつもどおりだ。
 そもそもなんだって一体始業式の日から風呂の中でため息をつかなければならないのだろう。本来今日という日は、翌日から始まる授業にそなえて最後の休暇を楽しむための一日ではないのか。軽く準備がてら教科書や問題集を引っ張り出すことがあっても、せいぜい軽く流す程度のものなのではないのか。……ああ、そう、その通り。別に考えるようなことではない。原因なんて、決まっている。あいつだ。あの、突然現れて、流れで居座って、帰ってきたばかりの相手を捕まえて訳の分からない話をしたかと思えば不機嫌そうに机の下にこもってみたり。挙句の果てに夕飯を終えて部屋に戻ってみれば何か食わせろと人に噛み付くのだ。例えでもなく、本当に噛み付いてくるのだから性質が悪い。おかげで左腕に二つ、くっきりと傷が出来てしまった。
 まったく……。
 もう一度、ため息。よくよく考えてみれば、まるで訳が分からない。昼間にも考えたことだが、どうして自分はこの現状をこうもすんなりと受け入れてしまっているのだろう。まあ、いい加減「かんがえても仕様が無い」と諦めもつきつつあるのだが。
 三度ため息をついてしまいそうになったのをこらえて、湯船の中で立ち上がる。これ以上こんな調子でここにいるとのぼせてしまいかねない。そうなる前に……。
 と、そう思って手をかけたバスルームの扉。そのぼんやり見える向こう側に、うっすらと白い人の影。
 まさか……。
 走るのは、なんともいえない嫌な予感。扉の向こうの人影が一瞬だけ躊躇するようなそぶりを見せて……、
 ガチャリ。
 扉が開いた。
「なんだ、出ちまうのかよ。つまらねえ。」
 ああ……、これだからやってられない。