5(最終回)

「ねえ、徹?」
 相変わらずすぐ前にははしゃいでいる巴とそれを宥める優。夜空にはいよいよ終盤に向けてより一つ一つが鮮やかなものになっていく花火。ある者は飲み物の缶を、ある者は空になった焼きそばやたこ焼きのパックを片手に夜空を見上げる中で、そっと凛がつぶやいた。
「……どうした?」
 その視線が夜空の方に向いているのは、きっとなにか意図があってのこと。そう思って、徹も一度横に向けた視線を夜空に、尋ねる。
「うん、さっきね……」
 凛はためらうように一度言葉を区切って、軽く息を吐いてから続けた。
「やっぱり、佳織にばれちゃった。『身体縮んでない?』って」
「え……」
 思わず、目が勝手に横に流れてしまった。
 凛の存在がどのようなものか、今現在この世界でそれを知っているのは徹と、その家族と、優だけ。隠し通すのが難しいであろう最低限の人間だけしか、凛がどういう存在なのかは知らない。それは、徹が、そして誰より凛が、できれば知られたくなかったから。
 客観的に考えて、凛の存在は異常だ。人間の姿でありながら人間ではなく、そもそも生物の型をとりながら生物でさえない。現実的に考えて、それが万人に受け入れられうるかと言えば否。それに、凛の素性を明かすということは多かれ少なかれその身上も明かさざるをえなくなる。凛も、徹も出来れば思い出したくはない、嫌な身の上を。
「どうしようか……」
 彼女は、束ねた金髪を夜風に揺らしながら呟く。白い肌を花火の色に染めながら口を開いて言う。
「佳織、私のこと聞いたらなんて言うかなあ……」
 そう、呟く彼女の表情はどこまでも平坦。目線はただまっすぐに夜空の一点を見つめていて。
 徹には、それが見ていられなかった。
「っ……」
 小さく凛が息を呑むのも気にせず、そっとその頭を抱き寄せる。本来の彼女の身体の肉体情報と同じようにかたどられたその身体、身長では彼女の頭はせいぜい徹の肩の下くらいまでしかなくて、それが今はたまらなく愛おしい。
「……大丈夫」
 結局、変わってないな……
「あの二人なら、大丈夫だ」
 凛は、時々強がりが過ぎるのだ。あの時も、そして今も。つらいことを、さも何でもないように話しながら、その会話の中に、交わりの中に、何とか救いを見つけ出そうとする。
そんなこと、しなくても良いのに。
「そう、かな?」
「そうだよ」
 横目に見上げてくる凛からわざと目線を外したのは、その言葉に絶対の自信が無いから。きっと、彼女に正面から見つめられたらその嘘が露呈してしまう。それだけはあってはならないから、目線を外して嘘を隠す。絶対だと、言い切ってやる。
そう、徹にも、凛の居場所がなくなるかもしれないというのは怖いのだ。彼女の存在はきっとその実、とても希薄で。それは現に過去に一度、存在したことまでもがなかったことになってしまったほどで。それを知っているから、徹には彼女の居場所が、存在の寄る辺が小さくなってしまう事が恐ろしい。
……なんだ。強がりなのは、俺も一緒か。
「あ……綺麗」
 ふと、空に花火が散った。赤と黄色の火花が夜空の黒の中を舞い散るように、きらめきながら消えていく。
「もうそろそろ終わりか……」
徹も、その消えていく火花を見ながら呟いて、ふと、その目をもう一度凛のほうに流した。
先ほどまでの、何かを隠した平坦な表情は息を潜め、その顔は花火の音に合わせてほころんでいて。身体のサイズを調整するのは忘れたくせに、普段はゆるく波打つ、そして今日はまっすぐに整えて束ねられた金髪が妙にほほえましくて。
そう……。
あの日、彼女は自分のもとに戻ってきてくれた。あれだけの事があった後で、それでも自分のもとに戻ってきてくれたのだ。だから、守る。あの日、結局自分は最後に守られた。凛は、身を挺してこの自分を守ってくれた。だから、今は自分が彼女の居場所を守ってやろう。
覚悟らしい覚悟などない。ただ、そのとき徹はそう思った。
「あ、そういえば……」
 よく考えたら、凛がこの有様じゃあ食事になんかいけないか……。
「どうしたの?」
「いや……、なんでもない」
 別に、あえて言うことでもないだろうと、食事のことは隠して夜空を見上げる。
「ふぅん……そう」
 と、何を思ったのか凛が徹にもたれかかってくる。
「お……」
 い、と文句を言おうとして、口を噤む。すぐ横、少し下にあって夜空を見上げる少女の顔は温かく微笑んでいて。
 ま、いいか。
 と、そう思ってしまった。つくづく甘いなと思うのもまた、事実なのだけど。
「あ、また上がった」
「そろそろラストかな……」
「肉欲がどうかしたか、コノヤロウ!」
 しみじみとつぶやいたところに絡み付いてくる巴の腕。もう随分前から短く、まっすぐにした髪を振り乱して笑う彼女の顔には一点の罪悪感も、遠慮もない。
「またわけのわからない事を……」
「ほらほら、もうその辺にさ……」
「何のまだまだ!」
「……」
 ああ、自分たちは今、さぞかし周りの迷惑になっていることだろう。
 そう、内心に冷や汗を流す徹を他所に、最後の花火が上がって、爆ぜた。



 その日、返ってから徹は自分の浴衣の帯に一通の手紙が挟まれているのに気がついた。そこにあったのは、一瞬我が目を疑うような内容。送り主は、もうこの世界にはいないはずの二人。
 智の母が亡くなり、篠山邸は無人の状態。本当ならばその建物も、その中の財産も篠山家の親類に分配されるのであろう。だというのに、
『全部君名義にしておいた。好きに使うといい。とりあえず、近日中に一度たずねてみることをお勧めするね。その後の判断は、……まあ君に任せるよ 篠山 智』
 そこには、そう記されていた。そしてそのさらに下には、
『先輩なら、きっとやってくれますよね? 朋』
 という一行。
 まるで意図の分からないその手紙がその後の自分の生きかたにまで関わろうとは徹が思うはずもなく。
 ただ、その夏にも確かに春日徹は、そして凛・フェルマーはこの世界に存在していたのだ。本来交わることのない、二つの意識は、確かに。

fin