其之五拾壱

午後2時45分 テニス部室

ガチャリ…
「いて!」
後ろでぼんやりとついてくる凛を気遣いながら扉を開けた途端、見慣れた黄緑色が視界を覆い、何かが思い切り徹の鼻面にぶつかった。
「なん……」
「ほら!いい加減にしなさい!」
「なんだよぅ。久々に来たんだから…」
「久々に来たからってやっていいことと悪いことがあります!」
「俺は久々じゃないぞ?」
「三原先輩もです!」
戸惑う徹などまるで無視して、部室の中では久々に見る大騒動になっていた。
(凛に三木先輩に三原先輩と鷹峰……大体予想はつくけど……ん?)
「なんで三木先輩がいるんですか?」
「おー、これは久しく見ぬ顔、憎き友よ。それに凛ちゃんまで。久しぶり〜」
「誰がですか」
妙に熱の入っている裕行を軽くあしらってざっと部室の中を見渡す。
(……荷物だけはちゃんとあるから…、みんな早々に避難したな…)
「……おい、お前凛ちゃんに何かしたか?」
「先輩まで馬鹿なこと言わないでください」
ぼーっとしている凛をしばらく見つめた後、真顔で問い詰めてくる裕行を正面からにらみつける。
「で?ど・う・し・て・先輩がここにいるんですか」
「いやあ。たまには身体動かさないとストレスたまるしさ」
「嘘ばっかり」
笑顔で答える裕行に、すぐ横から佳織が口を挟む。
「目が明らかに俺の後ろを見てますよね?」
即座に魂胆を見破られて、笑顔を顔に貼り付けたままで裕行の表情が固まった。
「で?ホントのとこはどうなんよ?」
「おおかた先輩の予想通りです」
ラケット片手に大きくため息をついて、二人の「悪い虫」の只中から朋を連れ出す。
「全く。引退してまで何やってんですか」
「だってさ〜。三原のやつが『かわいい新入生がいるって言うから』……」
「俺のせいですか!?」
「嘘は言ってないぞ?」
あわてて割ってはいる後輩にしれっと言いのけ、再び徹のほうへ振り返る。
「それで、これは吉報とばかしに飛び出してきたわけですか」
「大当たり」
「笑い事じゃないでしょうが…」
いい加減怒る気力も尽きたのか、ため息混じりにつぶやきながら佳織が机の上にうつ伏せる。その横では早くも凛が腕を枕に睡眠体勢に入っていた。
「でもまあよかったじゃない。この部にも有望株が入ってくれて」
「まあもともとそんなに『試合試合』ってがつがつしてる部でもないですけどね」
からからと笑っている二代キャブテンに思わず徹もため息を漏らした。
「でも面白い人じゃないですか」
不意に、それまで心配そうに凛の顔を覗き込んでいた(少なくとも徹にはそう見えた)朋が、腕を背に回しながら歩み寄ってきた。
「お前なあ……」
「な?彼女は認めてくれてるじゃないか」
「そうだそうだ」
「先輩達は早く練習の準備してください!」
さっさと外に出て行ってしまった佳織の代わりに、徹が珍しく声を張り上げて二人を急かす。
「あ〜っと…まあ今日は凛は休みだな」
「なあ、ほんっとうに何もなかったんだな?」
久々に袖を通すウェアを片手に男子更衣室の戸を開けながら、裕行が徹に尋ねる。
「しつこいっすねえ。本当ですよ」
「え?先輩なにかあったんですか?」
「ないってば」
横でこちらを見上げる朋に応えながら、徹は部室の戸を開けた。
「先輩達も早くしてくださいよ〜?」
「あっ、待ってくださいよ〜」
さっさと出て行こうとする徹にあわてて朋もついていく。あとに残されたのは不甲斐のない元・現・両キャプテンと眠りの沼に沈んでいる凛。
「なんだ、春日ってずいぶんと無用心な奴なんだな」
着替えを終え、懐かしい肌触りを感じながら更衣室から出てきた裕行が呆れたように言う。
「普通寝てる彼女を俺らみたいなのと一緒においていくか?」
「……先輩。僕はまだ犯罪に手を染める気はありませんよ?」
「いや、俺だってないけどさ」
何か腫れ物にでも触れるように恐る恐るとたずねる三原にあわてて念を押すと、部室の戸をあけて外の様子を覗く。
「しかしまあ……いつからアイツはあんなに女運がよくなったのかね?」
「はい?」
「ほれあそこ」
三原は、背伸びをしながら裕行が指差す先に視線を流す。そこではちょうど準備運動の真っ最中の徹のすぐそばで朋が何かを話しかけているところだった。
「あんなにべったりで…凛ちゃんがやきもち妬かないといいけどな」
「ですね…。でもまあ…そん時は俺らでもらっちゃいません?」
「は?…いや……でもそれも悪くは……」
ぶつぶつと何かをつぶやきながら裕行も、そしてそれに続く三原も、やがてほかの部員達の中へと入っていった。