其之弐拾八

同日 午後7時30分

都内の一角、有名なファミリーレストランチェーンのとある店に徹たちテニス部、総勢30名が集まっていた。
机には、高二の部員を囲むように下級生が座り、運ばれてきたばかりで、まだ白い湯気を立てている皿が所狭しと並べられている。
「それでは!」
がやがやとする部員達に静粛を促すように、やや大きめな声で裕行が言うと、炭酸がプスプスを気泡を立てるコップを手にとって立ち上がる。それに習って、次々と色とりどりのグラスが掲げられた。
「テニス部喫茶の成功を祝って!乾杯!」
『カンパーイ!』
程なくして、にわかに店内が食器のぶつかり合う音で騒がしくなる。昼食を摂って以来、ほとんどのものが今まで何も口にしていないので、育ち盛りの中高生にしてみれば待ちに待ったご褒美のようなものだった。
「いやあ、ホント、今回は色々あったな」
「まあもともと新企画でやってるしな」
「そうそう、それにだれかさんが最終日に馬鹿なことやらかしてくれたしね〜」
口いっぱいにパスタを頬張りながらしゃべる二人の男子部員の後ろを通りかかった丸山が、わざとらしく声を高めていった。
「なんだっけ〜?『えー…、俺はついさっき』……」
「ウルセエよ!」
西谷の口調を真似る丸山に、離れたところから西谷がどなる。
「ウルサイじゃないわよ。人の知らない間にあんな馬鹿やらかして。恥ずかしいったらないわよ」
「なんだよ、それくらい好きにさせろよな」
不機嫌な声で言うと、コップに注がれたコーラをグイと一気に飲み干す。丸山も肩をすくめてため息をつくと、そそくさと自分の席へ戻っていった。
「あれ?そういえばうちの馬鹿キャプテンと新郎新婦がやけに静かなんじゃないの?」
「…!な、勘弁してくださいよ」
席に着いた丸山が言うなり、すぐ隣のテーブルであわてた声が聞こえてきた。
「照れてんじゃないわよ。大体全校の目の前でアレだけのことやったんだから。いまさら照れることでもないでしょ」
「そ、そういう問題じゃあ……」
「で?凛ちゃんは?実際のところお互いにどうなのよ?」
「え……」
「いや、ホントに勘弁してくださいって」
しつこく、楽しむように問いかける丸山と、照れながらうろたえる凛と徹。そして、その横では
「ほら、お兄ちゃん。起きてよ」
ソファーに寝転がって眠る裕行を、佳織が激しく揺さぶっていた。
「ん……」
「起きなさいってば!」
「何やってんの?」
騒ぎを聞きつけた西谷が、やや離れたところから声をかける。
「いえ、ここに着くなりねっころがったと思ったら眠っちゃって……。起きないんですけど…」
「あ、そういうことなら……」
丸山の質問攻めから逃げてきた徹が、佳織の後ろに忍び寄ってきて腕をぬっと伸ばしたかと思うと
「…ぃ…イタタタタタ!」
頬を思い切りつねられた裕行が、悲鳴を上げて飛び起きる。
「誰だ!?」
「さあ?しーらない」
人差し指を口の前に立て、必死に『だまれ!』と示す徹を視界の隅で見ながら、佳織はからかうように答える。
「さ、それより!高二の人はこっちにきてください」
佳織のその声で、騒がしかった店内がにわかに静まり返り、何も言わずに高二の部員達が佳織の示した位置に集まってくる。
「はい、それでは例年通り。高二の先輩方の引退式を始めます」
「引退…式?」
どういうこと?といった様子で凛が徹を見上げる。
「ん?ああ、この部の慣例でな。毎年文化祭が終わると同時に高二は引退するんだ。だからいつも文化祭の打ち上げといっしょにこうやって引退式をやってるんだ」
「ふうん……」
毎年のことではあるが、やはりしんみりとした空気の中で高一が寄せ書きをわたしたあとで、キャプテンである裕行から順に高二が一言ずつ話し、そのたびに笑いや賛同の声が上がる。
「ま、俺ら五人は今日で抜けるわけだけど、これからもお前らでこの部をどんどん盛り立てて行って下さい」
『ハイ!』
裕行の決まり文句のような締めの言葉に、威勢の良い返事が答えた。
「さあ、それじゃあ解散にしましょうか!」
裕行の声を合図に、あちこちで荷物をまとめだす部員達。数分としないうちににぎやかだった店内は僅かに数人の姿が認められる程度になっていた。


同日 午後9時12分

店の前で部員達と別れた徹と凛は、二人並んで夜道を歩いていた。
「寒いね」
「ああ、そうだな…」
十月ともなれば秋を通り越して徐々に冬の兆しが見え始め、人々の服装もそれにつれて厚着になってくるころ。夜道を照らす街灯にたかっていた羽虫もいなくなり、長袖とはいえまだ秋の服装で歩いている二人にこの時間の寒さはこたえるものがあった。
「そういえば、二人でゆっくり帰るのって久しぶりだよな」
「そうだね……。文化祭中は忙しかったからね」
「それこそ家までダッシュで帰って飯食うなり寝てたしな」
「ああ、あったあった」
控えめに笑いながらマンションのフロントを通り過ぎエレベーターに乗り込む。
「でも、明日からはしばらく暇でしょ?ゆっくり帰れるよ」
「ん、そだな」
寒さに震えながら小さく答えると、ゆっくりと家の戸を開けて滑り込むようにして中に入った。
「……もうねてるか」
「みたいだね」
音を立てないようにゆっくりと部屋まで戻ると、手探りで電気のスイッチを入れる。
相変わらず乱雑な部屋。文化祭の間中、ろくに掃除もされなかった机の上はいつも以上に散らかっていた。
「ここも一回片付けないとな……」
独り言のようにつぶやいて荷物を降ろすと、机の上に貼り付けられたメモ帳をはがして目の前にかざす。
「……姉貴はかなり遅くなるらしい。今日はもう先に風呂入っちゃいな」
「うん、そうする〜。もう疲れちゃって…」
「ほら、早いところ行って来いよ。見張りはしといてやるから」
「は〜い」
そう答えると、降ろした荷物もそのままに着替えを抱えて凛は部屋を出て行った。

………
「フー…」
凛が出て行き一人になった部屋の中で、徹は静かにため息をついた。
三日間の仕事でたまりたまった疲れは何もしないでいても徹の体にじわじわとしみこみ、少しでも気を抜けば意識まで奪われそうだった。
(なんか……かまえちまうな)
そんな疲れと睡魔を払いながら、ふっと凛との会話を思い起こす。
丸山の言うとおり、昼間あれだけのことをやったにもかかわらず、そのあとは妙に二人でいると無意識に構えてしまい、ただの会話ですらずいぶんとぎこちないものになってしまっていた。
(てーか、あそこでああ言ったってことは……やっぱり俺達付き合ってるってことになるんだよな……)
壁にもたれかかるようにして首を倒し、ゆっくりと天井を見上げる。どこから入ってきたのか、一匹の羽虫が蛍光灯に止まっていた。
(実感……わかねえな……)
もう一度深いため息をつく。誰もいない、やや埃っぽい部屋の中で、徹の息がゆっくりとあたりの空気に溶けていった。