其之弐拾五

同年 10月10日 午前11時39分
「……なあ、佳織。これは見間違いじゃないよな?」
「たぶん違うと思います」
文化祭三日目、幸い最後の一日も天候に恵まれ、来航者数は上々だった。
テニス部の喫茶店の評判もいつの間にか広がり、その日も朝から店内の椅子はひとつ残らず埋め尽くされていた。
そんな中、入り口脇の机の上に頭をつき合わせて、徹と佳織が一枚の紙を見下ろしていた。
「いや、でもだって……まだ三日目が始まって2時間しかたってないんだぞ?」
「でも……やっぱり…」
「ああ……」
ハーっと二人そろってため息をつく。
「…とりあえず、三木先輩呼んできてくれ。急いで」
「はい」
小走りに部屋を出て行く佳織を見送りながら、徹はもうひとつため息をついた。
「何でこんなに早く在庫が切れるんだよ……」
…数分後……
「で?これからどうするのよ?」
客のいなくなった店内、テニス部員だけが集まる中で裕行に佳織が詰め寄った。
「だから言ったでしょ?ちゃんと数量は計画立てろ、って。適当にやるから途中で数がなくなるんじゃない」
空になったトレーを左手で指し示しながら、佳織がまくし立てる。
「まあ赤字にならなかったからよかったけどね」
「何言ってんだ。おかげで儲けが減ったんだぞ!?」
横から口を出した丸山に、すかさず西谷が噛み付く。
「渉はそればっかだな」
「ウルセーヨ」

佳織の視線から逃げながらよってくる裕行にそっけなく答える。と、その時、ガチャリ、と音がして扉が開いた。
いっせいに部屋中の視線が扉の方へ集まる。
「あ、ども……」
「遅くなりました」
「春日〜、凛ちゃ〜ん」
部屋の入り口で立ち止まる徹と凛の方に、裕行が助けを求めて振り向く。
「先輩、気にしないでくださいね。」
その裕行の後ろから、片手を口に添えて佳織が声をかける。
「ちょうどいまお兄ちゃんをみんなで責め立ててたところなんですよ」
「あ゛〜、なるほどみんな敵に回っちゃって四面楚歌、ってとこですか?」
「……うん」
見事に言い当てられて、裕行はしゅんとしてうつむいた。
「いま凛をつれてくる間に二人で話してたんですけど……」
「いまさらそんなこと言ったってしょうがないんじゃないですか?ほら、最終的にマイナスにはなってないわけだし……」
『…………』
急に、教室の中が静まり返った。
「あ…れ……?」
「俺達変なこと言いました?」
おろおろとしてあたりを見渡す二人、と、突然、誰かが口を開いた。
「まあ……それも一理ある…か」
「いいこと言った!」
「てーか遅れてきたと思ったらなにすっかり意思疎通しちゃってるんだよ」
最初の一人をきっかけに、教室の中がどっとにぎやかになる。
「で?このあとはどうするの、部長さん」
からかうように佳織が裕行に話しかける。
その声を聞いたとたんに、裕行はぱあっと笑顔になると顔を上げて部員の方へ振り向いた。
「よ〜し!片付けは明日の全体片付けに回す!これから文化祭が終わるまでは自由時間にします!解散!」

同日 午後1時48分
裕行による解散の声がかかったすぐあとから、徹は三木兄妹と凛の四人で校内を回っていた。
途中で、女子中高生の大群を引き連れて得意げに歩く芹山に出くわしたり、パソコン部の展示ゲームのプログラムの穴を、凛が10分ほどで直してしまったり、凛に声をかけようとする他校生を裕行が返り討ちにしようとして佳織に思いっきり頭を叩かれたり、そんなことをしているうちに気づけば解散の声がかかってからもう二時間が経とうとしていた。
「これで大体まわったか?」
「そうだね、めぼしいところはほとんど」
日の当たらないテントの中で、手に持ったたい焼きを頬張りながら、裕行と佳織が言葉を交わしていた。
「あとの時間はどうするかな?いまさら紙展なんか見たくねーし」
「どうか〜ん」
「あ、春日。お前は?なんか希望あるか?」
「う〜ん、いや、別に……」
「私はどこでもいいよ」
「「「「…………」」」」
四人が黙り込んだちょうどその時、遠くから四人の方へ駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「おーい、三木ー!」
「おお、渉か。どうした?」
西谷は裕行の目の前まで走りよってくると、膝に手をついて肩で息をしながら言った。
「どうしたじゃ……ないだろ。始まるぞ、フィーリングカップル」
「え?もうそんな時間か?」
クイクイ
「フィーリングカップル。この学校の文化祭の名物行事。在校生がナンパなり何なりいろんな方法で連れてきた女の子と壇上に上がって、衆人環視のなかで交際を申し込むイベント。Do you understund?」
「うん」
いつものようなやり取りをしている二人をよそ目に、渉が続ける。
「でな?さっきほかの奴と相談して決めたんだけど……」
そういうと、裕行の耳元に口を近づけ、何かをささやく。と、渉が一歩下がると同時に、裕行の口元がうれしそうに釣りあがった。
「お前、面白いことを考え付くもんだな」
「だろ?」
「……またくだらないこと考えてるんでしょ」
佳織の視線を避けるように裕行は立ち上がると、最後の一口を放り込んで右足を一歩前に踏み出した。
「おい春日。着いて来い。あと凛ちゃんも」
「え?」
「なんで俺達まで?別に俺は興味ありませんけど……」
思いがけず名前を呼ばれて、凛と徹の頭をクエスチョンマークが飛び回る。
「心配すんな、着いてこりゃわかるよ。」
それだけ言うと、裕行と渉は走り出してしまった。
「あ、ちょ!待ってくださいよ!凛、なんか知らないけど行こう!」
「うん!」
「あ!ねえ、私を置いていくつもりですか!?」
その二人を追いかけるようにして、徹、凛、佳織も走り出した。