其之弐拾参

同年 10月8日 午前9時01分

智は何も言わずに玄関で靴をつっかけると、かばんを背負って戸をあけた。
ガチャ……
外に出るとかばんを背負いなおして駅の方へと足を運ぶ。
(めんどくさい……が…まあこれくらいなら…)
うつむいて軽くため息をつくと歩きなれた道を進む。
クラスメイトに『上丘学園の文化祭に行かないか』と誘われたのが二日前。上丘といえば、智の通う日暮学園と並び称される進学校でありながら、その独特の校風と共学制で有名な中高一貫校だ。
もともとあまり気乗りはしなかったのだが、いくらなんでも毎日くらい部屋でパソコンの画面とにらめっこ、では気が滅入る。たまには息抜きにということで付き合うことにしたのだ。
「さて、すこし急ぐか。時間がまずい」
人通りもまばらな住宅街の中、独り言をつぶやいて智は歩くペースを速めた。

同日 午前10時21分

「いらっしゃいませ、ご注文は?」
がやがやとざわめく教室……もとい、店内に挨拶の声が響く。
部内の一部に聞こえた心配の声も杞憂に終わり、テニス部による喫茶店は好評だった。
(…っと、これで大体6分の1ってところか……)
手元に置かれたチェック票にペンを走らせながら、徹は考えた。
(まだ昼前だし……すこし早いよな)
「三木先輩!」
入り口に誰もいないのを確認して、ちょうど横を通りかかった裕行に声をかける。
「もう6分の1いったんですけど……すこしペース速すぎませんか?」
「ん?別に問題ないだろ」
「いや、でもこのペースで行くと最終日が……」
徹がそう言うや否や、裕行がきょろきょろと辺りを見回して徹の方へぐいと顔を近づけた。
「馬鹿!最終日までには売り切れてる位でちょうどいいんだよ!」
「え?」
裕行につられて、思わず徹まで声を潜める。と、その時。
「こら!二人ともサボらないで!」
いつの間にかかぎつけたのか、裕行の背後に立った佳織が二人を見下ろしていた。
「へーへ。わりっ、またあとでな」
「はあ……あ、いらっしゃいませ」
新たな来客の相手をする徹を尻目に、裕行は店内へと消えていった。

同日 午後0時11分

「なんか腹減ったなあ?」
「確かに」
「なんか喰うか?」
「……」
周りで勝手にしゃべっている3人の同級生の会話を聞き流しながら、悟は人のあふれる廊下を歩いていた。
(まあここの校風上、少しは楽しめるが所詮この程度か……これだったら家出おとなしくアイツ探してたほうが良かったか?)
ぼんやりとそんなことを考えながら、前を歩く3人のあとについて歩く。
ドン!
突然、何かにぶつかって足が止まる。
「どうした?」
「え?」
前に立つ3人に突然声をかけられ、思わず問い返す。
「いや、昼何喰いたい?って聞いてるのに返事が無いから」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事しててさ」
顔に、作りなれた笑みを貼り付けて答える。
「頼むぜ〜?他校の文化祭で考え事なんてよ」
「そうそう、ほかにすることがあるだろ?」
(馬鹿どもが。俺はお前らに付き合ってやってるだけだ)
ケラケラと笑う3人に合わせて智も笑ってみせながらも、腹の中でどす黒い思念を渦巻かせる。
(まあおかげでこっちは「優等生」扱いだからな。持ちつ持たれつ……か)
「で?どうするよ?」
「さっきすれ違った人がテニス部の喫茶店がいいって話してたけど」
「おお、グッジョブ!」
「じゃあそこにするか?なあ、篠山?」
「ん、ああ。いいんじゃない?」
適当な返事を返すと、歩き出した3人のあとについて歩き出した。
「っと…ここか?」
人の流れにもまれながら歩くこと1分。智を含む四人組はでかでかと掲げられた看板の前に立っていた。
「すげえな、よくこんな堂々と進路妨害しておいて文句を言われないもんだ」
智の横で一人がつぶやく通り、そのベニヤと思しき木材で作られた立て看板は廊下の半分を当たり前のように占拠し、人の流れをことごとくせき止めていた。
「でもまあ……うまいよな、この絵」
「確かに」
(まあ、おおかた道をふさいで足を止めさせて、この絵で中に誘い込んでるんだろ)
「なあ、それより早く入ろうよ。俺もう腹減っちゃって……」
ボーっと看板を覗き込んでいる三人に声をかけて、智は『入口』と書かれた扉のノブに手をかけた。
ガチャリ…
中で金具が擦れ合う音が聞こえて、静かに扉が開く、と、とたんに智の耳にざわざわとした店内の物音が飛び込んできた。
「ひょー、いい感じじゃないの」
浮かれて我先に店内に入っていく3人の後ろから智ものろのろと教室の敷居をまたいだ。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
ふと、右手の方から声をかけられて智の足が止まった。
(ああ、こんなところに受付があったのか……)
特に気に留めるでもなく、首だけを右に回す。
「ご注文は」
いらだつ心を抑え、作り笑いを貼り付けながら徹が繰り返す。
「アー…っと、おーい、お前ら〜…」
言葉を濁しながら、「そこ」にいるはずの三人組みに声をかけようとして左を向く、それにつられるようにして徹の視線も右に流れた。
「ねえねえ、君さあ」
程なくして、その視界に佳織に声をかける智の連れの姿が映った。
「……ナンパ、ですか」
「スイマセン、ご迷惑をおかけして……」
視線を交わらせることなく、徹と智が言葉を交わす。
「あの…すぐつれてきますんで……」
「あ、いえ。お構いなく。ほっといても佳織は自分でどうにかしますから」
「は?」
そういって、智が首を右へ戻した次の瞬間。
グワ〜ン!
二人の耳に飛び込む、金盥で人の頭を殴るような音。
店中の視線が集まる中、佳織に金属製の盆で頭を叩かれた智の連れが、しゃがみこんで痛みに耐えていた。
「『当店はナンパ行為禁止となっております。声かけその他は店外で』って看板に書いてあったでしょ?ま、どの道あなたなんか目じゃないですけど」
さらっと言ってのけると、唖然とする智の視界を横切って店の奥へと消えていった。
「……凄いんですね、彼女」
「ええまあ…」
呆然といった様子で連れの醜態を眺める智に、苦笑を漏らしながら徹も答えた。
「あ、それで注文は、どうします?」
「あ、じゃあ……カフェオレとベーグルサンドと…フルーツケーキを4つずつ」
「はい、わかりました」
そう言うと、手元のチケットを合わせて12枚といくらかのつり銭を、智の手に握られた5000円札と引き換えに手渡す。
「しばらく席で待っててください。すぐにもって行きますんで」
「はい」
受け取ったチケットを胸のポケットに押し込むと、いつの間にか戻ってきた連れ3人と共に智は店の奥のテーブルへと歩いていった。