其之弐拾弐

同日 午後10時35分

翌日に文化祭初日を控えたその夜。机の前に座ってパソコンのキーボードをカタカタと鳴らす凛の後姿を見ながら、徹はぼんやりと鼻歌を歌っていた。
少し前に凛にパソコンを触らせてみたところ思いのほか扱いがうまく、気づくと勝手に起動している光景が目に付くようになっていた。その腕前もなかなかのもので、一度テストのデータをハッキングしようとしたのをあわてて止めたことがある。
「それにしても静かだな……今日は…」
ふう…っとため息をつきながら徹がつぶやいた。
「そうだね。今日は巴さんがいないから……」
「はは、それもそうだ」
軽く笑って答える。
巴は、今夜はサークルの飲み会があるとかで、夕方に凛と風呂に入ってすぐに外出していた。ここのところ夕飯の後の時間はいつも巴に部屋を占拠されていたので、徹にとっては思わぬ幸運だった。
「……とうとう明日だね」
凛が椅子の上で体の向きを変え、徹の方を向く。
「ああ。明日だ…」
窓から吹き込む風を額に受けながら徹もつぶやく。
「ちゃんとうまくいくかな?」
試すように凛が尋ねる
「まあはじめての企画だけど……うまくやるしかないだろ?」
「うん。そうだね…」
突然に吹き込んだ強い風に振り向きながら、凛が答えた。
「徹は…明日は会計係だっけ?」
「ああ」
「ちゃんとしてよ?お金の管理の仕事なんだから」
「お前の方こそ、しっかりしろよ?飲食展示で誰が一番大変って料理する奴等なんだから」
「大丈夫だよ。もう全部しっかり作れるようになったから」
凛が自慢げに言う。
「だったら会計だって看板作りに比べりゃいくらもましですよ」
張り合うように徹も言うと、立ち上がって机の上のグラスを手に取る。
「そういえば、さ」
「ん?」
横で徹の方を向かずに口を開いた凛の方へ、ふっと視線を流す。
「あの看板。私に似せて描いたの?」
「へ?」
頭の中で、凛の言葉がこだまする。
「あの絵の女の子。なんか私に似てない?」
「そうかな?描いてるときは別に意識したわけでもないんだけど……」
頭の後ろに片手をやりながら、目線を上に泳がせて答える。
「な〜んだ。残念」
パンッと手を打って凛が立ち上がる。
「なにがだよ」
「いや、ね?」
首だけ徹の方に振り返りながらベッドの横まで歩いていくと、その縁に腰掛けた。
「もしかしたら私の絵描いてくれたのかなって。ちょっと期待してたからさ」
そういってにっこりと笑う。徹は思わず頬が温かくなるのを感じた。
「バッカ、そんなことねーよ。ほら、明日は忙しいんだから、もう寝るぞ?」
目線をそらしながらそう言うと、ノートパソコンの画面をパタンっと閉じる。
「え〜、もう?」
「さあ、寝た寝た」
渋る凛を急かしながら部屋の証明を落として、床に敷いた布団の上に倒れこんだ。
(危ない危ない……)
眼鏡をはずして枕に顔をうずめた徹は一人、頬の火照りを冷まそうと躍起になっていた。
(さっきのはさすがに……)
凛の笑顔を思い出すと、またも頬が熱を持つ。
(落ち着け……相手は子供だぞ?せいぜい……)
ふと、徹の脳裏に昼間の佳織の声がよみがえってきた。
『……歳とかあんまり気にすること無いと思いますよ?』
(……でも確かに、中二って言えば俺とひとつしか……いやいや、でももう少し下ってことも……それでも二個違いか…?)
一人で頭を抱えてうなりながら、布団の中で丸くなる。
「……ん?」
ふと、徹が自分を見下ろす視線に顔を上げると、楽しそうに頬杖をつきながら、ベッドの淵で徹を見つめる凛の顔があった。
「やっぱり、まだ起きてた♪」
楽しそうに弾んだ声でそう言うと、またもにっこりと笑って徹の方を見る。
いい加減見慣れているはずの凛のぬれた髪が、そのときだけはやけに艶やかに見えた。