其之弐拾

同年 10月1日 午後3時25分

「メニューまだ足りなーい。もっとバリエーション増やして!」
「調理室の次の使用許可下りました。7日の放課後2時間です」
「え?それじゃあ二日前じゃない!もう少し何とかならないの?」
テニス部室の中、部員達があわただしく行き来する。
展示内容が「喫茶店」と決まった時点ですでに文化祭まで一ヶ月を切っていたこともあり、部内では文化祭準備が急ピッチで進んでいた。
幸い文化祭での調理は特に禁止されていないので、文実の許可さえ下りれば展示を開くことは容易にできる。それだけに、飲食展示の集客合戦は毎年目を見張るものがあった。
「土木組は〜?ちゃんと仕事進んでる?」
「ああ、ばっちり〜!」
部室の中からの呼び声に、外で金槌を振るっていた裕行が声を張り上げて答える。
「看板は?もう出来上がった?」
「ああ、持ってってくれ」
部室の中から現れた佳織に、自分の横に立てた、まだまっさらの、木の看板を指し示す。
「それにしても驚いたよな」
「うん。西谷先輩のこともそうだけど、あの二人にこんな特技があったなんてね」

………
……部室の裏手
…………
「春日先輩。じゃあこれお願いします」
釘と木材だけで作った、簡単な立て看板を抱えて佳織が部室の裏手に姿を現した。
「おう、そこ置いておいてくれ」
花壇の縁に腰掛けていた徹は佳織に手を上げて返事をすると、軽やかにその場から飛び降りた。
「さっきの下絵の通りに書けばいいんだよな?」
「はい。でも本当に……先輩がこんなの描けるとは思いませんでした」
そういって足元を見る佳織の視線の先には、鉛筆で書いたイラストが何枚も散らばっていた。
どこかで見たことがあるような顔から、スケッチではないかと思うほどの風景画まで。その種類はさまざまだったが、どれも見るものをうならせるものがあった。
「別に。小学生のときの俺ってまるっきりインドア派だったからさ。そん時の賜物だな」
特に得意げにするでもなく、両の手を合わせてはたきながら隅の方に置かれた画材一式を手に取る。
「……じゃあ、お願いしますね?」
「あ、ちょっと待って」
部室の方へ戻ろうとする佳織を引き止めて、手に持ったペンキを床に置く。
「凛は?どんな感じだ?」
「どんなもなにも、凄いですよ。今調理室で実習やってるんですけど、一番上手なんですから」
「そうか」
満足そうにそう言うと、床に置いたペンキを再び手に取る。
「悪かったな、呼び止めちまって。戻っていいぞ」
「……はい、がんばってください」
そういい残して、佳織は部室の中に消えて行った。

………
……調理室
…………
「お、あんただいぶ様になってきたじゃない」
「え、そうですか?」
「先輩、俺のどうですか?」
学校の一回。普段は食堂の職員が調理をするのに使っている調理室の中で、食器がぶつかる音や、話し声がタイル張りの壁に響く。
文化祭本番を一週間後に控え、調理室争奪戦が奈緒激化する中、今年初めて飲食展示に手を出したテニス部が調理練習に励んでいた。
ガラガラッ
ふと、閉ざされていた金属製の引き戸が開いた。
「どんな感じですか?」
控えめにあけられた扉の隙間から、佳織が体を滑り込ませるようにして入ってきた。
「そこそこね。何?」
高校生の女子部員が横にいた中学生に簡単なアドバイスをして佳織の方に歩いてくる。
「あ、もう少しメニュー増えそうなんですけど、こっちは大丈夫かな、と思って……」
「え゛〜っ、まだ増えるの〜!」
佳織の声が聞こえたのか、調理室の隅から悲鳴が上がる。
「勘弁してくださ〜い」
「マジで!?」
それに続くようにして、あちこちで批判的な声がこだまする。
「……そんなにひどいんですか?」
「正直いいとは言えないわね……」
周りを見回しながら聞く佳織に、考え込みながらその女子部員も答える。
「見ての通り、みんないまいち覚えが悪くてね。完成はよくなってきたんだけどなにぶん時間がかかりすぎるのよ……」
「でも……、今のメニューじゃちょっと……」
そういって佳織は手にしたメモにざっと目を通す。そこにあげられているのは、現段階で出品が決定している品目と、今後加わる可能性のある品目。今の段階でメニューに載せることが決まっているのは4品目しかなかった。
「そうね。確かにどの道増やさなきゃいけないのは確かだわ……。何とかしてみる」
「すいません」
目の前の先輩に頭を下げて、佳織は扉の方へ歩き始めた。
(……あ、そういえば)
ふと、その足の向きが横に向く。

「……凛ちゃん!どう?調子は」
「わぁ!」
黙々とボールの中身を混ぜ合わせている凛の背後から忍び寄ると、不意にその肩に抱きついた。
驚いた凛が大声を上げて後ろを振り向く。
「か、佳織ちゃん……何やってるの?」
「いや、調子はどうかな?っと思ってさ」
息を整えている凛からにっこり笑って離れる。
「うん、何とかほかのもちゃんと作れるようになったところ」
「何とかってレベルじゃないよ」
「西谷先輩……」
佳織と凛が後ろを振り向くと、ちょうど料理室の奥から西谷がこちらに歩いてきていた。
「凛ちゃんの場合手際が良くてね。何作らせても今ここにいる中では一番早いよ。」
「へえ…」
「その上これがまたうまくてなあ。料理の才能あるよ、ホント」
「そんな……」
いいことばかり並べ連ねられて、凛が頬を染める。
「なーにが『何とか』よ。なんかずいぶん凄いみたいじゃないの」
「………」
何も答えられず、耳までほんのり赤くして凛はうつむく。と、何かを思い出したかのように不意にその顔を上げて佳織の目をまじまじと見つめた。
「そ、そういえばさ。徹はどんな感じ?」
(あ……)
ふと、佳織の頭に徹の言葉がよみがえる。
(……なんだかなあ)
「佳織…?」
いつまでたっても答えない佳織の顔を、覗き込むように凛が首をかしげる
「ああ、春日先輩?あっちも上々よ。」
「そっか……」
『安心した』とでも言わんばかりの柔らかな表情を浮かべて、凛がフッっと短く息を吐く。
「……じゃあ、私はそろそろ戻るね」
「うん、そっちもがんばって」
「お?いいの?私ががんばればがんばるほどメニューは増えるよ?」
「う゛…それは困る……かも」
「ハハハ、冗談だよ」
肩をすくめて押し黙る凛に笑いかけて、佳織は扉の方へ再び歩き出した。
「そうそう、春日先輩が心配してたよ?凛は大丈夫なのか?って」
「え?」
何か聞きた気な声を上げる凛に背を向けたまま手を振ると、佳織は廊下へと出て行った。