こないだの続き(一部修正)

 前回はゲームへの規制の流れだけとって「ハレ傍観」層からの攻撃っていう書き方をしたけれど、実はそれは一面だけなんじゃないか、って言う気がしてきた。
 きっかけは、件の国営漫画館のお話。たとえばAIR。名作とか泣きゲーとか言われてますが、しかし一方でまぎれもなくエロゲーなんですよね、あれ。で、国営の博物館で、そんな年齢制限がかかるような掲示ができますか? 勿論、そういう要素を省いて掲示することもできるでしょうが、それをやったら、何か元からは変質してしまうでしょう。もしくはひぐらし。大分人気は集めましたけど、一方で主に厨二臭い演出について批判的な意見もあるわけで、それを単に事実としてきれいな額縁の横に併記したところで、それはなんか違うじゃないですか、やっぱり。
 あるいは、もっと話を進めて、アングラ寄りの要素をもつもの自体を排除して、手塚作品や宮崎作品、もすこし枠を広げてエヴァ辺りまでしか扱わないんだとしたら、それでさもサブカルの博物館を語ろうなどと、おこがましいにもほどがあるってもんで。
 じゃあ逆に、何でそんなものを作りたいのか、前回の規制の件とあうあうして、いささか邪に推し量ってみますと、こんな気がするのです。すなわち、これまで傍観していた、自分と直接の接点はないハレの物が拡大してきて不気味だから、感覚的に許容可能な形に作り変えて、自分たちのケの中に取り込んでしまおうとしてるんじゃないか、と。
 気味悪いですよね。しかし、抗うとしてどうあらがったものでしょう。幸か不幸か、漫画館の放っておいても「ハレ傍観」層の中にもハレをできればどこかへ消えてほしいものとして傍観したままでいたい人達を中心に反対してる層があるんでまだ良いでしょうが、規制の方はどうでしょう。「論理的正当性がないじゃないか」と声高に叫ぶだけではあまりに少数派過ぎるし、かと言って直接的な衝突を避けて「良いじゃない、誰も困らないんだから」と言ってみたところで、規制に正当性があると思っている側から見れば、それはたとえば麻薬常習者の言い訳と大差ないでしょう。
 だとすると、はて……。