誰かも最後の巻き巻きで「一人三十秒」とかなった後に言ってたけど、今回の集まりはある意味無茶苦茶ズレた集まりだと思う。同じような事件が別の環境で起こったときにどうなるか考えればわかることだから言及はしないけど。
そもそも、37年前から今に至るまで、ここには倫理悪でなければ黙認する暗黙のウチガワノルールが習慣的に存在している。それば、ある面では対外的な壁になってくれる人達のおかげで作られた天国だし、別の面ではこの集団全体で作り上げた社会の異端でもある。きっと、なつかしの池飛び込み事件から今回前のいろんな問題は(この問題の中に吉田屋の話が入るのかはちょっとわからない)、この内側のルールと外側のルールがかみ合わないから起きた問題なんだと思う。いうなれば、この数年は、このズレについての再考を促されている数年間でもあるわけで。
ところが、この内側のルールの存在は、外側のルールにのっとった「常識的」判断では到底許されるものではないから、もしこれをおおっぴらに一から十まで口にしてしまった途端、大改革をはじめることになりかねない。みんなそれをうすうすわかってるくせに明確に意識しないもんだから、逆にためらわれて、議論そのものがグダグダになるんだと思う。だから、あれだけ「いや、常識的におかしいでしょ」って意見が出ても感情論に負けてしまうわけで。逆に、「内側ルールをぶっ壊す」っていう明瞭な覚悟があれば、結果がもう少し違っててもおかしくないと思う。
閑話休題
重要なのは、このズレの存在という事実を認めること。これが最近生まれた一時的なものならいざ知らず、確実に、少なくとも6年以上はぐくまれてきた明らかなズレであることを認めること。其れをせずに、ただそれがうみだした問題その他もろもろを許すことだけ主張しても、空しくて、馬鹿らしくて、多分次にはもっと大きな問題として取り上げられることになる。
個人的には、ここはあらゆる一般的通年から精神的に自由な場で、それが最大の良さの一つだと思っている。だからこそ、それが発展すると、人倫に反しない限りにおいてここまで甘くもなれるわけで。そういう中で、具体的にこのズレをどうして行くのか、このままいったら確実にどこかで問題になるであろう、外との折り合いのつけ方をどうするのかが、今後の問題だと思う。 07.10.03

p.s. ブログサーチしてもあんまりそれらしいのがひっかからないなあと思ったらみんなミクシに行ってるのね。一個下の某有名人の所で知った。未だにミクシ入ってない僕は異端ですか?










後日追記

流石にアレはないよなあ。
なんでこのタイミングで公表するのか。一度隠したんなら、アレはもう少なくとも卒業するまで腹のそこにしまっておくべきことでしょう。危機管理能力がなさ過ぎる。単純に「やった」って言うだけの事が責められてたから前回は続投許したけど、こんなことならやめりゃよかった。
しかも、うろ覚えだけど、「委員長が〜ばれたら〜出来なくなる可能性が高いと思い」みたいなこと書いてあったけど、これ、それ以前の十二人の時点では最低限の開催可能性は見込めると思ってたわけでしょ。自ら自粛を提示した連中の言葉とは思えんね。まあ、三日の放課後の時点で、大体シナリオは出来てるんだろうなくらいには思ってたけど、いくらなんでもこれを面に出しちゃまずいでしょ。

さらに後日追記

考えてみりゃ、このズレが意図的に放置されたのでなければ、とうの昔になくなってるわけで。だから多分誰かがこれに言及しても、上で書いたみたいな大袈裟なことには本当はならない。
じゃあなんでわざわざ残してあるかを考える時に、きっとこのズレという緩衝地帯にあって僕らの側がどう考えるか、それを自答する事が期待されてるんでしょうね。そこにどういう結論を各自が出すにしろ。
だから、このズレをどうするかっていう議論は正確じゃないのかも知れない。するべきなのは、このズレがあることに感謝して、その上で今回起こったことについて、世間の決まりと、自分の思想と、対外的な実戦とのあり方を考えること。繰り返すけど、そこにどういう結論が出るかは別にして。ただし、あくまでこういうことのために与えられたズレにかまけて、今回みたいなことを繰り返すことだけはしちゃならんと思うけどね。やるならば、思想とか、そんな崇高な物でなくてもいいから、自分なりの普遍的な行動原理に基づいてやることが大事なんでないですかね。